小学生の頃に父や叔父に教えてもらった釣りは十代を終える頃までは趣味と云える位に好きだった。その後も嫌いでは無かったけれど徐々に興味は薄らいでいった。

 

 時は経過し元号が令和に成った今から五年ほど前からまた釣りをし始め今でも続いている。何にも興味を持てない焦りだらけの空っぽな毎日から追いかけられていて何も描けない、何も見つけられずに居た中で昔の記憶を手繰り寄せてくれた釣りは心のリハビリとして今では趣味として定着している。まだ何も知らない幼少期に興味を持った釣りは「人として求めている何か」に近かったんだろうと今は思っている。

 

 統合失調症の後遺症としてギャンブル依存があるけれど釣りを始めてその理由が少し分かった気がしてます。発病後にドーパミンの枯渇が生じてしまうのですが、ドーパミンで達した崇高な世界を記憶した脳がドーパミンを再び求めている、その脳内快楽物質がギャンブルで少しだけ得られる事や多彩な毎日をこなせなくなった歪んだ軸との相性から賭博依存に陥る可能性が高いんだろうと今は遠くから望んでいます。釣りで得られる高揚感は幼心にも触れた本能的欲求があった、それをベースとして釣りを通じてトレースしている、上層部をそのままに下部を再構築している様な感じでしょうか。

 

 遠い薫りのような記憶から自分をみつけた。