何をやっても結果が得られない日々が20年以上続きました。「今」を凌ぐ事で精一杯なので目先の事しか考えつかないのですがそれでも一生懸命闇雲に努力してしまうのが統合の特徴ではないかとも思います。何かに没頭している間は悩まないで済むので仕事は一生懸命やる事になります。しかし周りとの兼ね合いを意識していなかったので無責任に努力してしまう所も目立ち仕事仲間からは煙たがられる事が多かったと思います。今は自営で独りでやっているので対人ストレスも無く、幻聴や妄想とは無縁の生活を送っています。

 

 「今」と言う手元しか見えないので将来の希望など思い描くことは出来ないでいました。希望を持ったとしてもそれはやがて絶望へ変換されてしまう事を経験から学んでしまっているので夢を抱く事が怖かったりもします。私が結婚をしない理由は何かがあったとしても1人ならば困るのは自分だけで済むからと言う気持ちがあるからです。家族を養わなければならないのに仕事から離脱する訳にも行かないでしょうし、無理して働き続ければ復帰するまでに相当の時間を費やす事となってしまうのでもう結婚は現実的な話では無いと言う事です。残念ですがそこは自己完結を選択せざるを得ません。

 

 それでも自分の人生を謳歌したいとは思っていて、破産して一文無しになった時と比べれば今は相当豊かな暮らしをしているので欲しかった物などを買ったりして何とか自分を満足させようとしているのですが求めているのは「物品」でも「金」でも無いらしく、満たされる事はありませんでした。実際の所、自分が何を求めているのか未だによく分かっていない所があります。「何がしたい?」と自問自答しても多くの事柄に対し興味を失ってしまったので何も見つけられませんでした。気持ちが熱くならないのです。

 

 そこで思いついたのが「若い頃の趣味」のトレースでした。そんな昔の趣味に対しもう気持など無かったのですが数年前に小さなバイクを購入しました。日光街道沿いにあるバイク屋から慣れないバイクに跨りいきなり国道デビュー。初心者もいいところでへたくそ丸出しで店を飛び出しました。でもその日光街道は16歳で免許を取った頃によく走っていたのでとても懐かしい感覚に包まれました。あの頃の初々しさと久しぶりのバイクで緊張している自分が重なり合って凄く心地が良かったのです。バイクに乗って風を切っていると昔の自分に戻れたような気がしました。余計な事は何も考えないでマシンを左右に寝かしながら操作する感覚はどこか戦闘機を操っているかのような感覚があって気が付くとアクセルは全開、死んでいた気持ちに火が入ったのです。

 

 バイクに乗っていると蓋で閉ざしてしまった昔、良かった頃の記憶が蘇り始めました。そして若いころに教習所に通いながら思い描いていた将来についての記憶も鮮明に蘇りました。いつか大型免許を取るだろうと感覚的でありながら現実的にイメージしていた事柄だったのですが、いつの間にか記憶の彼方で埋もれてしまってました。しかしその気持ちが50歳を過ぎて再燃し、今年の6月に遂にやり遂げました。そこにはとてつもない達成感が存在していて、久しぶりに心が満たされるのを感じました。

 

 22歳で起こしたバイクの事故の後遺症でそこまで自由に動ける体では無いですが、そんなバイクが20年近くも悩み続けていた私を救ってくれたのですから文句はありません。