「プレトーク」/「音楽堂シリーズ」の覚書(*'▽')☆彡
マエストロ沼尻氏のトークは面白い(*'▽')♪ご本人がお気づきなられているかはわからないけれど、その気になれば、いつでも聴衆から爆笑をかっさらえるのではないかと。並みの噺家では、きっと太刀打ちできないレベル(^▽^;)だが。ただ面白い話というには、音楽家の「思い出話」は、そのまま核心的な音楽の動機につながっていることもしばしば。面白いのだが、そのお話が音楽に直結すると感じられると、その瞬間に深みが現れることに気づく。この日、演奏するヒンデミット「いとも気高き幻想」に関しての、氏の思い出。これが格別でした。指揮で食べて行けるかどうかなんて、わからない。将来に備えて、あの小澤征爾さんでさえ、恩師斎藤先生から「運転免許と教員免許だけは取っておけ!」と言われたことがあるとか。当時、学生だった沼尻氏も、将来に備えて教員免許を取得すべく、教育実習に臨んだ。その教育実習の場所が、どういうわけか「新島」。なぜに「新島」なのか?についてはわからないのだけど、とにかく「その時」、「新島」にいた。教育実習をやっているさなか。緊急の連絡が入る。「小澤征爾の代役で、ヒンデミットを振ってくれ!」お話を聞いているこちらも、40年前の出来事にびっくり仰天である(◎_◎ノ;)ノ小澤征爾の代役(◎_◎;)?学生が。。。。。。。(◎_◎;)?いかにマエストロといえど、学生の時に小澤征爾氏の代役で本番を振るなんてことが。。。?正しくは、本番ではなく。小澤さんが振るはずだった新日本フィルのゲネプロ。その日だけ、小澤さんが参加できない事情が発生した。その代役。あの小澤さんが指揮棒を振れなかった理由。それは、あまりにも有名な「伝説の日」に関係する。オープンしたばかりのサントリーホールにベルリンフィルを迎えてカラヤンが振るはずだったあの公演。病のために来日が叶わなかったカラヤンの代役として、小澤さんが指名された。あの日。1986年10月30日。小澤さんがカラヤンの代わりにベルリンフィルを振る。小澤さんが、初めてベルリンフィルを振る。ゆえに、小澤さんの代役として、沼尻さんが新日本フィルのゲネプロを振ることになった。教育実習中の沼尻氏のもとに、船便で楽譜が届けられる。そこにはヒンデミットの「いとも気高き幻想」があり。とにかく楽譜を読みこんだ。船に乗り、新島の学校の生徒に見送られながら新島を出港。そこから本番(ゲネプロだけど)まで、必死にがんばった。新日本フィルでこの曲を振った時、「いつかこの曲をやりたい!」と思ったのだそう。あれから40年。多彩なプログラムを世に送り出してきた沼尻氏であっても、ヒンデミットを振る機会というのはなかなかに訪れるものではなく。「音楽堂シリーズ 第35回」のこの日、あの日の思いが神奈川フィルの演奏によって、ようやく実現する。なんだか、氏の大切な宝物を分けてもらったような気分で、お話を聞かせていただきました(*´ω`*)♪