テレビゲームでもパソコンでもそうですが、

 

その世界の仮想現実を創っているのはプログラミングです。

 

かんたんに言うと、コード(言語の羅列)ですね。

 

 

 

 

たとえば、テレビゲームだったら、

ゲームの中では、

 

キャラクターとか

木とか

町とか

城とか

 

に見えるけど、

 

実際はコードですもんね。

 

 

 

 

今、ブログ書いてますが、

太字にしたりするのもHTMLというコード。

 

文字を選択して「B」を押せば、1発で太字に変換されるけど、

裏で動いているのはこんな↓呪文みたいなコード。

 

 

<span style="font-weight:bold;"></span>

 

 

 

 

 

 

 

 

これらと同じように、この世界も仮想現実で、

人生もゲームだったとしたら…。

 

 

スマホもベッドもあなた自身さえも

コードみたいなものだったとしたら…。

 

 

そんなわけないか。

でも絶対にそうじゃないって言い切れます?

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、昨日まで観念のことを書いて来ましたが、

もうひとつだけ。

 

 

 

 

え?飽きた?もういい?

まぁ、まぁ、そう言わずに。

ちゃんと意味があって書いてますんで、最後までお付き合いください。

 

 

 

 

もし観念が1つでも欠けていたら、

現実がガラッと崩れてしまうことになります。

 

 

 

 

だって、

 

 

地面を歩けるのは、

「地面は硬い」という観念があるから。

 

 

車が進むのは、

「アクセルを踏むと進む」という観念があるから。

 

 

映画「君の名は。」を観ても隕石が落ちて来ないのは、

「隕石は滅多に落ちてくるものではない」という観念があるから。

 

 

なのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、でもそんなこと意識したことないと思います。

 

ええ、それこそが観念のもうひとつの性質。

 

 

観念は、無意識で自動的に働いている

 

 

 

 

そういう意味では便利機能だよね。

 

 

だってもし観念がそうじゃなかたとしたら、

いつも意識的に考え続けなければいけなくなる。

 

 

歩くたびに「地面は硬い、地面は硬い」って念仏のように

唱えなければいけないのは、めんどくさい。

 

 

 

 

なるほど、だったらやっぱり、

 

この現実を体験できているのは、

観念のおかげなんじゃないか、

 

と思うようになったのです。

 

 

そして、この観念こそが、

人生という人間ゲームを構成しているコード

なんじゃないかと。

 

 

 

 

この画像↓を見ればわかりやすいかもしれない。

 

(↑壁も床も人もコードでできています。)

 

 

これは映画「マトリックス」のシーンです。

 

 

マトリックスは、

「この世は幻想で仮想現実なんだ」

ということを描いた映画として有名ですが、

ホント、イメージしやすいんですよ。

 

機会があればマトリックスのこともこのブログで書こうと思っていますが。

興味ある方はぜひ観てみて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ようやく観念の予備知識の話が終わりました。

なんだか難しい話でしたね。

 

でも、明日以降の記事を書くのに必要な情報でしたので。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日は「エゴ」について書きます。

 

 

★★★★★★★★

↓↓ランキングに参加しています。

自分にいいことが起きる1番簡単な方法は他人を応援すること^^

今日の記事よかった!と1ミリでも思えたら「ポチッ」とプリーズ!

あなたと僕の幸せのために♪↓↓

★★★★★★★★

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 最高の人生へ

 

 

 

 

↓↓ 募集中です。読者登録お待ちしています。↓↓

読者登録してね

 

 

 

さて、今日も人生楽しみますか!
 
 
 
ヒッツ