仕事徒然草。
今日は、普段はあまり私が話したくない、院長先生小話。
同業目線で見て、怪物レベルの仕事をする人だと院長先生に関しては、お世辞抜きで正直感じる。
これは親の遺伝なのか?本人の努力か?は分からないが、きっと「やれてしまう人」なのだと思う。
検査して診断して薬を出してちょろっと処置すれば済むようなのとは異なり、産婦人科医の仕事は業務レベルが高く、こなす量も時間も膨大である。朝も夜中もである。
一般的な普通の医師だと、どこかできっとパニックとなり、神経性胃炎になり、鬱になり、無理だ・・と根をあげるだろう。
私は脇役だし、常に指摘をもらうばかりだが、やはり相手が自分よりはるかに仕事ができる人間なので、何も言い返すことができなくなってしまう。
院長先生がよく言う言葉で、次のような言葉がある。
「今あなたがやれていないことは、あなたの能力では出来ないこと。力が伴わず成し得なかったことだ。
やればできます、ではなく、自分には力がなくて出来ませんでした、と言いなさい。」
こう言われると、ぐうの音も出ない。反論余地もない。でも…だって…、の言い訳がきかない。
院長先生は仕事に厳しい。
産婦人科の業務は、緻密、過密。計画性、管理力、持続力を全く怠れない。
それを24時間365日何十年も継続できてしまうような人は、やはり能力なのかも・・と最近、感じざるを得ない。
それに、病状だけでなく、明日来院される患者様の名前の漢字まで正確に記憶できている。
内科からオペまで何でもこなしてしまうのは、おそらく「できてしまう」のだろう。
そしてそれが朝でも、夜中でも、マイペースだ。
大病院では、たくさんの先生方がいらっしゃるので、分担ができる。
しかし、厚木産婦人科では分担ができないので、体力・精神力共に必須で、換言すれば、能力がない人には絶対に無理な科だ。
もともと親の遺伝で生まれながらに産婦人科医に向いているのか?
または、人の何倍もの努力が苦なくできてしまう人間なのか?
職員に気ばかり遣う私と違って、指導も細かく厳しくできてしまうのは、人から嫌われる恐怖も人からどう思われるかという危惧もないのか?
未だに、私にも謎だ。
でも、それが患者様や医療スタッフからの信用面で大きく功を奏しているのかもしれない。
仕事は本当に実力主義だな、と感じる。
私は自分のできることで余生をがんばるしかない・・