かつての僕は、シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)が起きるたびに、その「理由」や「意味」を一生懸命に探していた時期があった。これには何か特別なメッセージがあるはずだ、答えを出さなければいけない、と研究熱心に突き詰めていたんだ。
けれど、今はもうそれをやめた。
​もちろん、今でも不思議な一致が起きれば「何かあるんだろうな」と気にはなる。 けれど、そこに執着して正解を探し回ることはしない。
なぜなら、シンクロニシティが起きたその瞬間、僕は決して悲しいとか不快だとかいう気持ちにはならないからだ。
​むしろ、その真逆。
​予期せぬ再会や一致が起きた時、僕はすごくハイテンションになる。
それは、ただの興奮というよりも、内側から突き上げてくるような強い高揚感であり、全身が幸福感に包まれ、喜びに満ち溢れる感覚なんだ。
それは僕にとって、理屈抜きに「気持ちがいいこと」であり、「いいことが起きている」という確信そのものなんだ。
​人口密度の高いこの東京で、あるいは遠く離れた異国の地で、点と点がまさかのタイミングで結びつく。 その天文学的な確率の不思議を、頭で分析するのではなく、ただ「はっ!」とする驚きと、溢れ出す喜びで受け止める。
そこにどんな意味があるのかを問うよりも、その瞬間に起きた「快」という感覚に素直になり、ただ感謝する。
​「そんなことある!?」と笑い合えるような驚きが起きたなら、それだけでエネルギーの循環は完結している。
起きた出来事をそのまま喜び、楽しむ。
今の僕は、ただそれだけでいいと思っている。


今日はソウルブラザーが初台へ来てくれた😭🙏
お互いにバカ話で始終笑いっぱなしの数時間だった🤣🤣🤣←こんな感じにね🤣

決してベタベタな付き合いじゃないのに「会おう!」と決めて会うと何ヵ月ぶりとか関係なく、あたかも毎日一緒にいるくらいの空気感で楽しめるんだ。
そして別れた後にこんな素敵なラインを送ってくれた😭🙏

彼の言葉にモノやカネでは得られない喜びの収穫に恵まれた😊
有り難う❗






先日、手元に「渋谷区物価高騰生活支援給付金」の通知が届いた。
物価高騰の影響を受けている区民への支援として、一律で現金が給付されるという内容だ。
しかし、その中身をよく見てみると、今の日本の行政システムが抱える大きな矛盾が見えてくる。
1. 1日あたり「167円」という現実
今回の給付金額は、1人あたり5,000円。
1ヶ月(30日)で割ってみると、1日あたりわずか約167円だ。
コンビニでペットボトルの飲み物を1本買えば消えてしまう金額である。




今の異常な値上げラッシュに対し、これが「生活支援」として十分と言えるのか、甚だ疑問を感じざるを得ない。
2. 儲かるのは民間委託業者?
さらに驚いたのは、この通知を送ってきた差出人だ。
区役所が直接業務を行っているのではなく、民間企業が事務手続きを丸ごと請け負っている。
こうした給付金事業では、事務コスト(外注費)として事業全体の予算の10%〜15%程度が支払われるのが一般的だ。
 * 給付金総額:約11.5億円(渋谷区民約23万人の場合)
 * 事務委託費(推測):約1.1億円 〜 1.7億円
区民一人ひとりの手元には1日167円分しか届かない一方で、その手続きを代行する企業には、億単位の税金が支払われている計算になる。
3. 税金の使い道への違和感
事務を効率化するために民間へ外注すること自体は否定しない。
しかし、これだけの巨額な事務手数料を支払うのであれば、その分を直接給付に上乗せして、少しでも区民の生活を支えるべきではないだろうか。
「全区民に配る」という形をとることで1人あたりの金額は薄まり、結果として最も効率よく利益を得ているのは事務を請け負う大企業である、という皮肉な構造が見えてくる。
私たちが納めた税金が、本当に困っている人の手に届くまでにどれだけ「中抜き」されているのか。
この1通のハガキは、そんな行政の在り方を問いかけているように感じてならない。