僕はお布団? -12ページ目

僕はお布団?

子猫ちゃんを寝かせる温かいお布団の物語(*^_^*)

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久しぶりにブログを開いてる
でもPCに向かってる訳でもない
最近ほとんどの用はiPhoneで済ませている

土日は仕事は休み
残業もほとんどしない
1年前とは大違いの生活だ
無理をしても良いことはないと思い仕事も整理した
今朝は父親を病院に迎えに行って来た
癲癇の発作で一週間の入院だった
なんだか救急車を呼ぶ事も慣れてしまった
症状の報告やら対応も家族全員落ち着いたものだ
土日は出かける用が無ければ車の運転ができなくなった妻の脚になる

仕事以外の時間はほとんどこの部屋で過ごしている
食事と風呂と寝る以外は自分の部屋で時間が過ぎて行く
気が向けば香を焚いたりアロマを焚いたりもする
香りによって気分もずいぶん変わるものだ
特に辛い事も楽しい事もある訳でも無く毎日が過ぎて行く

娘の縁談がまとまって、この秋には嫁に行くことになった
孫を見る日が来るのかもしれないな
そうなるといよいよ爺いになったという事だ
60歳になった
記念に赤いクロスバイクを買った
休日は走りに行きたいが妻の脚役から解放されないと行けないのが残念なところだ

ティファールの湯沸かしを買った
これでコーヒーを淹れて飲むのが日課になった
美味しいコーヒーにこだわる訳では無いが眠気覚ましにはドリップコーヒーの方が効く気がする
部屋に漂うコーヒーの香りも気に入っている

音楽を聴き
コーヒーを飲み
iPhoneのニュースやらメールを読む
今日も落ち着いた時間がある
ありがたい事だ
1年前には想像すらしなかった時間が今はある
だが1年前の今日は何をしていたのかほとんど記憶がない
こまめにブログでも書いていたら思い出せるのかもしれないが
このブログもほとんど休止状態だし
iPhoneに残された写真もその頃はほとんど無い
忙しいという字は心を亡くすと書くのだったね
全くその通りだな
だが今だって心はどうなのだろう
特に何も感じない平穏が幸せという事だろうか

目が不自由になって自由が利かなくなった妻を不憫だと思う
だが手足となってそばにいる訳にも行かない
妻は自分の苦難を抱えて自分なりの生き方を考えるしか無い
僕だっていつまでこうして居られるかわかったものでは無い
人間の命など儚いものだ
明日には
いや後数分後にでも何が起きるか未来など誰にも予測は出来ない
健康だと思っていても身体の中で何が起きているのかなど自分でもわからないのだからね
想像しても予測出来ない未来を苦にして恐れる事ほど愚かな事はないと思う
例え明日世界中の火山が噴火を始めて大地震が日本を沈没させるとしても自分は日常を続けるのみだと思う
もしもそんな事になったらうろたえず何が最善で最優先するべき事は何かを考えておく必要はあるだろうけど、そのために用意しておくものは最小限で良い
60歳は老いてはいない
まだまだやりたい事も欲しい物も欲もある
だがいざとなれば優先すべきは自分の事では無いと覚悟している
大事であっても小事であってもそれは変わらない
明日が有るのか無いのか誰にもわからないが自分はまだまだ四五十年は健康で生きようと思う
欲張り過ぎかと思うが自分で自分が自由にならなくなって人の手を煩わせてまで生き長らえるつもりは無い
だが長生きはしたい
自分の欲と言うよりは自分の愛するものたちの行く末を見届けてから枯れるように朽ちて行けたら幸せだ
誰にも看取られず
自然の息吹や空気の移り変わりを感じながら自然に溶け込むように死んで行けたらいいなと思う
いつか
いつかはわから無いが
自分の命が燃え尽きる時を感じられたら幸せだろうな
死後も記憶があるのなら
自分の身体が朽ちて自然に溶け込み自然の栄養になって虫や草木や動物の命に受け継がれて行くのを見てみたい気がする
普通の人間には許され無い事だが
年老いて仙人のように暮らせたらそんな事も可能かもしれない
しかしそれは叶わ無い夢だな
いつかはゴミのように焼却される運命だ(笑)
日本はそんな我儘が許されるほど広くは無いからね





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五月だと言うのに連日気温は30℃を超えている
学者は言わ無いだろうが温暖化による地球全体の空気中のカロリーの上昇は膨大だ
人間は地面は永久に有るものだと誰でも思っているだろう
だが地面など地球の表面を覆う薄皮に過ぎない
空気中のカロリーが増えれば地球内部の高熱の液体は内部から薄皮を溶かして行く
温暖化の本当の怖さは海面上昇では無い
薄皮はある一定の厚さを保てなければ一気に崩壊するのだ
海面上昇は地表を冷やすための自然のサイクルだ
最早各家庭やら個人で出来る事では追いつかない状況になっている
だがこんな事を大っぴらに言えば世界中の馬鹿な人間はパニックを起こす
だから誰も言わない
言っても責任が取れないから

人間は増え過ぎたのだ
そこを反省すべきだろう



とまぁ爺いがブツブツ言っててもせん無いことだ
人間は自分が出来ること成すべきことをする以外に方法が無い
昔からすべての宗教も哲学もトドのつまりはそこに行き着く
僧侶は僧侶として
俗人は自分の役割に邁進することが生きる道だと説く
自分は自分以外の何物では無いと言う事が結論なのだ

退院して来た父のために妻が八宝菜を作った
父の好物だ
僕の好物でもある
美味しく頂いた
これから妻を買い物に連れて行く
買い物が終われば自由時間だ
年寄りが居るとだんだん自由な時間も減るのだろう
基本的にはそばで見守る必要は無いと思っている
父は来月の診察の日には90歳になる
衰えた父を見ると正直腹立たしい
男ならちゃんとしろと言いたい
だが老いは残酷だ
これも仕方の無い事だ
自分はこうはなりたく無いと思うがならない保証は何も無い
父をそばで見守る事は見張ると言う事だ
もういつ死んでも良いと思っている
本人はどうかは知らないが
自由にすれば良い
もう長く生きたし
死んでも何も困る事は無い
どこで死のうが本人の自由だ
家の中で
どこかで倒れてしまおうがそれはそれで仕方ない事だ
管理される事は不自由だ
自分が望ま無い事を父に押し付けるつもりは無い
妻にはそう言った
心配しても仕方が無い
そろそろ時間か
妻がうるさくならないうちに出かけるとするか