大敬先生のワンデイ・メッセージを紹介しています。
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立花大敬青空ひろば
(前日の続き)
(解説)
「この用に<即する>のですか、この用に<離する>のですか」というのは、十年前の『今・ココ』の悟りの発展です。分析が精緻になっているというところはありますが、その路線を踏み外せないでいるという行き詰まりも感じられます。
いのちのボールの例えにもどって、ボールと床との接点が、私たちが体験する『今・ココ』でしたね。いのちが正常に流れている時は、いのちのボールの全体重が、その『今・ココ』の接点にかかっています。これが、<即する>です。『用』とは、動作・作用のことで、この場合は、払子を取り上げて立てるという動作の刻々の『今・ココ』に、馬祖のいのちの全体重がかかって動作している。決してお留守になっていないということです。
そして、『用に<離する>』とは、どの『今・ココ』にも停滞しない、意識がこびり付いてしまわないということです。いのちは本来流れですからね。先ほどのボールの例で言うと、ボールの中心(意識の座)は、『今・ココ』と同一化していませんね。常に『今・ココ』と意識のセンターは等距離を保って離れています。だから、今の『今・ココ』から次の『今・ココ』へよどみなく移動できるのです。(次の日に続く)