大敬先生のワンデイ・メッセージを紹介しています。
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立花大敬青空ひろば
(前日の続き)
さて、この公案にもどって考えましょう。
倶胝さんが指を立てた時、そのソコに倶胝さんはいません。というのは、指が立ったというのを見た、あるいは認識した時、それはもう過去(過ぎ去ったもの)なのですから、
見たという、認識したという結果が表れたことによって、そのモノはもうすでにソコには無いんだということが同時に証明されるのです。
『矢、新羅(しんら)を過ぐ』という禅語があります。ある物事が起こった瞬間、実はいのちの本体はずっと遠くまで(朝鮮半島まで)スッ飛んでいってしまっていて、ソコにはいないんだぞと示す言葉です。この公案は、実は<いのちの本質は行(流れ)である>ということを悟らせるための公案なのです。(次の日に続く)