大敬先生のワンデイ・メッセージをご紹介します。
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立花大敬青空ひろば
(前回の続き)
中国の唐の時代の法眼(ほうげん)禅師という方が、次のような問題を出されました。「世界はこんなにも広いのに、どうして鐘が鳴ったら禅堂に行って坐禅しなければならないのか。」
世界はこんなにも広く、自由なのに、どうしてチャイムが鳴ったら、教室に入って勉強しなければならないのでしょう。中3にもなったら、こんなことも考えるようになるでしょうね。
ルールのなかで、窮屈そうな制約のなかで、当たり前の行動をピタッ、ピタッとこうでしかあり得ないという軌道で決めているとき、もう窮屈さは感じません。むしろ、その一瞬、一瞬に伸び伸びとした「広がり」を感じます。もう制約もルールもまったく念頭になくなって「世界」すらありません。こんな境地を道元禅師は「脱落 脱落(だつらく だつらく)」とおっしゃっています。
もちろん、こんな境地にはなかなかなれませんが、学習の時間は勉強して、自由時間には友達と遊ぶ。当たり前の事を当たり前にやっていて、特別な努力をしているように見えないのに、不思議に成果が上がっているというような生徒をよく観察すると、自然と、この「脱落 脱落」が出来ていますね(その瞬間、瞬間にピタッと納まってやるべき事が素直に出来ている)。