大敬先生のワンデイ・メッセージをご紹介します。

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立花大敬青空ひろば

 

(総務部長であった時、高2の学年通信に書いた「あゆむ」というタイトルの文章です)

『歩く』という身体の行為を『人生の歩み』と絡めて考察してみることにしましょう。

歩く時は、右足・左足、交互に大地を踏みしめて前進します。右足が大地に接している時、左足はありません(意識していないということ)。次に左足が大地に達した時、もう右足はどこにもなくて、全体重が、この左足の一点にかかっています。これが正常な歩み方です。

人生もその通りです。あるのは、<今・ココ>の一点のみで、過去はもう過ぎ去ってナイから過去なのだし、未来は未だ来なくてナイから未来なのです。

ですから、本当にアルのは、<今・ココ>の一点のみです。その一点に我がイノチの全体重をかけて、重心をその上にしっかり置いて進んでいくからこそ、無理、無駄のない、よい人生の歩みができるのです。

 

いつまでも、頭の中に過去を留めて固着している人は、イノチの全体重の重心が後ろに傾いて仰向けにひっくり返ってしまいます。未来の夢に固着する人は、足下がお留守になって、前のめりに倒れてしまいます。

<今・ココ>の一点の鉛直線上に、自分のイノチの重心をしっかり保って、しかもどの<今・ココ>の一点にも固着しないというあり方ができた時、人は最高度の前進を遂げることができるのです。(次回に続く)