大敬先生のワンデイ・メッセージをご紹介します。

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立花大敬青空ひろば

 

『断碑(だんぴ)、古路(ころ)に横(よこ)たう』という禅語があります。

古びた、苔むした石碑の断片が路傍に横たわっているのです。

すっかり破壊されて破片化してしまっているし、苔むしてもいるので、もう文字は読めないんですね。だから、まったく値打ちがないようにみえます。

しかし、そのように見るのは、それは表面的な『アタマの見方』なんですね。

永遠無限からの見方、奥ゆかしい『いのちの見方』はまた別なのです。

苔むして、文字が読めなくなればなるほど、侘び寂びてしみじみと美しいということがありますね。

なぜそんなものが美しいのかというと、断片となり、摩滅すればするほど、作品の全体像が判然せず、刻まれた文章も読めないので、そうであればこそ、『石』という本体だけが、現象のあれこれの姿、文字に誤魔化されることなく、はっきりと見えてくるということがあるからです。

実は、私は川井信一先生の石像が大好きなのです。

どこが気に入っているのかというと、川井先生の作品では、『石』という素材が生かされているからです。

仏を彫っても、地蔵を彫っても、仏や地蔵が厚かましくしゃしゃり出て、本体の『石』を消し去って、殺してしまっているということがないのです。

川井先生は、そういう『石』という本質を失わないようにしながら、仏や、人や、石灯篭など・・・、さまざまなものをしっかり表現してくださっています。だから、作品に永久(とわ)な感じがするのですね。