令和哲学者Noh Jesuより引用

 

今回は、令和哲学者「Noh Jesu」との出会いについて令和シリーズ17を見ながら改めて述べていきます。

 

 

過去のブログにも最初の出会いや出会うまでの経緯が書いてあります。

過去の記事は ⇒ コチラ

 

 

しかし、10年以上も前の自分の記事を読むと恥ずかしいものですね(笑)

 

 

そして、記事の中で印書に残ったのが冒頭に出てくる以下の部分

 

6歳の頃にはピストルを発明した人を恨む夢を1年間ずっと見続け、「剣の時代に生まれていたら天下の剣の達人になれたのに…。どうしてピストルをつくってしまったの?」と思うような変な子どもでした。

令和哲学者Noh Jesuより引用

 


これもさらっと書いてありますが、すごいことですよね。

 

 

みなさんも同じ夢を見た経験があるのではないでしょうか?

さらに何回、見たことがありますか?

 

 

私もありますが、せいぜい同じ夢を見たとしてもこれまで10回くらい。

 

 

 

まぁ、それでも多いのかもしれませんが

一年ってどれだけその夢に対する心の叫び

が大きかったのでしょうか?

 

 

 

きっと想像できないくらいあったのでしょう。

 

 

いままでたくさんの人に出会いましたが同じ夢を一年間ずっと見たという人に出会ったことがありません。今度、この時のことをもう少し本人から聞いてみたいと思いましたもん(笑)

 

 

 

そして次に印象に残ったのが以下の文章。

 

日本語もまったく分からなかったにも関わらず、映画の中に入り込み興奮が止まらなかったことを、私は今でもよく覚えており、人生で一番楽しい映画鑑賞になりました。

令和哲学者Noh Jesuより引用

 

 

私が初めて魂が揺さぶれた経験をしたのが「ブルース・リー」の映画を見たときでした。

 

 

 

この時は、ブルースリーの映画をみるというより映画を見たい思いが強く、たまたまみた映画がブルースリーだったというオチがつくのですがそこから大ファンになったものです。

 

 

 

話は長くなるので割愛しますが、この時も映画もブルースリーというよりは、無理やり作った感のある映画だったのですが、それ以降、彼の映画を見るたびに体の中から何か熱いものが湧き出ることを感じています。

 

 

 

しかし、これをまったくわからない中国語版で見るかといえば、やはりみないです。

字幕があれば別ですが・・・

 

 

何十回も見てだいたいの内容やセリフも覚えていたとしてもやはり日本語があるものを見ますね。

 

みなさんも同ではないでしょうか?

 

 

それを日本語がまったくわからないにもかかわらず

字幕(韓国語)がない日本の映画を見るという行動力

Noh Jesuの人間像を見て取ることができるのです。

 

 

 

その後も映画のシーンと一体化した経験が続きますが、よっぽどの思い入れがあるのだと感じれます。

 

 

 

そういったひとつひとつの想いがいまは、

日本の可能性を爆発させたい

人間の可能性を無限大爆発させたたい

という想いに込められて行動している。

 

 

あとは、その想いに応えるか答えないか。

 

 

それがこれからの歴史を創っていくことにつながることだと私は感じています。