前回、一人ではできる限界のことを書きました。

記事 ⇒ コチラ


一人では、限界となると必要になってくるのが他の人とのチームプレーや協力


ただ、ここでチームプレーなどにあまりいいイメージが持てない人は、あきらめにもなりやすいです。


かつての私がそうでした。


自分で言うのもなんですが、もともとは、人間好きだったと思います(笑)


なんか、知らない人をみると声をかけたくなってしまい、小さいことは、誰彼かまわず声をかけるくらい活動的だったそうです。


ところが、幼稚園を境に自己否定が強くなりだし、そこから人が信じられなくなりました。


というより、人間は最後は裏切るものだと思ってしまたのです。


どんなに仲がよくても利益や損得が働くと自分を犠牲にして他人のことを考える人はいない
最後は、自分が優先になるのだから裏切るものだと思ってしまったのです。


これは、裏切られたと思った経験を何度か繰り返し、やはり最後はと確信してしまいました。


ただ、それでもどこかでこの人だけは・・・と信じたいという心もありました。


そんな私がなぜ変化出来たかというとそれがnTechを学んだからです。


どういったことかというと信じることの前提が変化しました。


いまでこそ、(人を信じれないと思っていた原因が)学校教育をはじめ、既存の教え方を受ければそうなってしまって当然と思えるのですが、その当時は、そんなことまったく思いもよらなかったのです。


それがなにかというと『存在ありき


すべてがそうなのですが、何か存在があってその情報が脳を通して入ってくる。


そこからいろいろな判断をするというプロセスを通過します。


これを言い換えれば、脳が認識出来ることが絶対だという無意識があるということです。


そして、脳が認識できないことは、非科学的だと片付けてしまう。


この存在に対するイメージの変化がとても重要なキーワードになってきます。


では、存在とは何かとなるのですが、一言で言ってしまえば『動き


 ①存在があるから存在する

のではなく、

 ②動きが存在っぽくみせている


この認識ができるかどうかがポイント。


詳細は、省きますが、①の現象では、実はつじつまが合わないことがたくさん出てきてしまうのです。


それに比べて②だとすべての現象が矛盾なく説明、理解、納得できる。


例えていうなら①は天動説②は地動説です。


別に①の考えを持っていても生きていくことはできますが、時代(科学)が進めば進むほど、説明できないことが多くなり、訳が分からなくなってしまう。


その最たるものの一つとして存在があると信じる、信じられないとことができあがってしますのです。

 

 

そして、信じがたいために存在にたよる。


存在がベースではなく、動きがベースなら常に変化するものということがわかります。


この②を明確に誰にでも理解、納得できるのがnTechなのです。


信じることの前提を変えたいのであれば、nTechに触れてみることをおススメします。