私が小学生とか

小さい時

ごく身近で起きていたのが

薬害エイズ事件だった。

当時は詳しいことはわからなかった。



彼はとても特別扱いされていた。

そして、酷すぎる差別を受けていたと思う。

当時はAIDSのこともよくわからないし

恐ろしいイメージだけは先行してて

世間のみんな怖がるのも当然だったかもしれない。

本人も

移しちゃいけないと懸命だったのかもしれない。

いつも、神経質なほどに手を洗っていたし

食器も他の人と別々にしてた。



印象的なのは

ある日

彼がよたよたとこちらに向かって歩いていた日のことだ。

まだ小学生の彼は

私の住んでいた団地の4階からとび降りたと言った。

すぐに彼のお母さんを呼んだ。

私は4階に行って

揃えてあった彼の靴とかランドセルとかをとりにいかされた。

本当にここから飛び降りたのかはわからない。

もし、本当なら

歩けないだろうと思う。

飛び降りたのか、飛び降りていないのか

本人も記憶にないくらい

錯乱していたのかもしれない。

彼のお母さんが来て
彼を押し倒して悲しく怒っていた。

すごく苦しそうだった。

私は彼と同じ小学校だった。

彼のことは時どき目にしていた。

『タクシーが迎えに来ました。』とよく

校内放送もされていた。

入院も通院も体育の制限もあり

勉強はどんどんついていけなくなるのは当然だった。

彼が家で彼のお母さんから習っている勉強は

頭が良くない年下の私にもとけたことがあった。

無邪気に得意になって答えていた私だった。

今思うと、

残酷だなって思う。

どれだけ苦しんでいたのだろうか?

あれは、国と製薬会社が正しい診断をしなかったから起きた事件だ。


実名を公表して原告となった川田龍平さんと同じく
血液製剤による感染だろう。


私はその話を彼と直接したことがない。

その事実を数年前まで実は知らなかった。

間接的に知ったときは

一瞬すごく怖くなった。

ご飯を一緒に食べたことがあるけど、

大丈夫か?

私の子どもも一緒にご飯を食べたりしたけど

移ってないかな?

とか真っ先に考えてしまった。

防衛本能なのか?

まず、調べて食事で感染しないことがわかって、自分が安心してから

それから

やっと彼の苦しさを思えるようになった。

こんな自分も酷いなと思う。

事件を調べると、

製薬会社も国もその薬が危ないことを知っていて

でも、許可して使っていたことがわかった。

非加熱製剤が危険だとわかった時点で

使用を止めていたら随分違ったと思う。

でも、その非加熱製剤の薬を使うことによって

得をする人たちが多くいたのだ。

だから、黙っ非加熱製剤を安全だと偽って

許可していた。



川田龍平さんらは

『これは殺人だ』

と訴える。



私もそう思う。

人間って

やっぱり悲しい。

Win-Looseだ。

いやいや、Loose-Looseだ。

誰も報われない。



正しい診断なんか人間にはできない。




永遠に加害者と被害者がうまれてしまう。
 
どちらも悲惨だ。

目で見てしまえば終わらない。

『人間』がなんなのかがわからなければ

永遠に人間は苦しい。

誰のことも理解できない。

孤独で不安だ。

怒りの爆弾だ。



では、どうすれば???


答えはある。


人間を卒業することだ。


人間のまま、人間じゃなくなることができる。

悟りを知れば。

そこからはじまれる。

コロナのメッセージも同じだ。

『人間を卒業せよ』

『そしてはじまれ』

とコロナは人間たちに叫んでいる。


人間を卒業した人は

正しい診断ができる。

その人は
令和哲学者 Noh Jesu氏だ。

悟っている。
みなさんにも出逢ってほしい。




4/16
19:00〜
ポストコロナ会議


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