台北市内にある六張犁亂葬崗を訪ねた。
亂葬崗は万人塚、無縁塚のこと。
墓苑の斜面には、名前と処刑された日付が記されているものや、「不詳」とだけ記されているもの、判読不明な小さな
石碑が点在している。
地下鉄文山線六張犁駅の裏手にある小高い山に通じる小径を歩き続けて約10分。
民家は姿を消し、山腹に這いつくばるように建てられた無数の墓が見えてきた。
一体どれくらいあるのだろうか。
大型で立派なものから、簡素なものまでその形は様々だ。
さらに10分ほど歩くと、立派なメインゲートにたどり着いた。
元は地元の農民たちの先祖の墓地だった場所が、日本統治時代は陸軍墓地となり、終戦後、大陸からやってきた家族や身寄りのない軍人たちの墓地としてその数が一気に増え、現在の姿になったと言われている。
確かに、河北や四川、雲南など、中国各地の地名を冠した石碑が多い。
1993年に入り、白色テロの犠牲となった者の遺骨を探し続けていた親族が、ここで名前が刻まれた墓石を見つけたことで、六張犁亂葬崗は一気に注目を集めることになった。
その後の調査で、主に1950年代前半の白色テロで犠牲となった人々約200名が眠っていることが判明し、現在は「戒嚴時期政治受難者紀念公園」として整備されている。
戒厳令下で政治的弾圧で犠牲となった若者は一体どれくらいいたのだろう。
墓石も作られず、海や山に姿を消した者も多い。
眼前には眩しいほどの青空と、台北一の高層ビルが林立する信義地区が広がっている。
七十年前に見えた景色と同じものは、青空と雲だけかもしれない。
山の中腹には、民主運動リーダー・蒋渭水の墓もある。
大地と青空と雲に抱かれ、全ての墓石が“自由”になることを心から祈った。