もらった言葉を となえてみる



相手を受け入れる

共感する
ちがうけど、おなじ
上も下もない

光になる
光になって、包み込む
おなじ目線で、向かい合って
笑い合う



そんな世界を想像したら
とてもあったかい




ひとりでご飯つくってても
ひとりじゃなかった



なんてしあわせなんだ



帰ってくる人がいる
喜んでほしい人がいる
そんな今はなんてしあわせなんだろう

気付けたのは 
“自分を光だと思って”
と言ってくれたから


一滴になればいいと思った
でもそれはひとりで、まわりに響かせる感じ
そうじゃなくて
光ならみんなとつながってる
全体で

対等でいないとと思ってた
でもそんな必要もなかった

開ける視界


脱構築
今は議論する必要はない
言葉で戦う必要はない


言葉は器
思いを表現するために
適した言葉に気持ちを注いで
発する
適してると思って 気持ちを注いだけど
その言葉(器)は社会がその仕組みを保つためにつくられたものもあって
心からつくられてないものもあるんだと
気付いた

だから、
私は 受け入れたくない社会のためにある言葉を
使わないようにしたい
その言葉を発することで、社会を受け入れたかのような思考になってしまう
巧妙に 望んでいない社会を維持することに
荷担させられてしまう
そしてその言葉を思考を選んでいるのは
自分自身ということになってしまう



私は


望む世界のための言葉を使う そうする
サパのあの子も 
フィリピンのごみ山のあの子達も ロラも
大切なあなたも
同じように座って 笑顔で向かい合って
話すの


光に包まれた境界のない世界



思ったままの気持ちの記録。2022.1.11