大晦日ですね。
一年は早いもんで
今年最後の城blogになります。
築城 1334年 池田氏
廃城 1580年
城郭 平山城
天守閣 なし 模擬天守あり
池田城は1334年にこの地の豪族池田氏のあった館である。応仁の乱に一時大内政弘に攻められ落城したがすぐ奪還している。
1508年に細川氏の騒乱に巻き込まれ細川澄元側についた池田貞正が細川高国に攻められ落城し貞正は自害、子の池田信正も逃亡した。
池田信正晴1519年にまた奪還し、1531年には細川高国に連合した浦上村宗に落とされるが、大物崩れにて赤松氏、三好氏に敗れ細川高国が自害すると、また池田城を奪還し細川澄元の子細川晴元を1533年に入城させているので細川晴元に使えた。
しかし1546年に池田信正は細川晴元を裏切り、晴元の家臣三好長慶に攻められ降伏したが晴元に許して貰えず自害。
信正の子池田長正が継いで勢力を伸ばしたが結局三好長慶に敗れ配下につく1563年に池田長正が死に一族池田勝正が継ぎ1568年に織田信長に攻められ敗れるが、なんと領地安堵、しかし1570年に今度は池田勝正の家臣だった荒木村重と一族池田知正に裏切られ勝正は追放されてしまった。
1573年に足利義昭が織田信長と不仲になると池田知正は足利義昭について織田信長の家臣になった荒木村重に攻められ敗れ配下になってしまう。
1578年突然荒木村重が織田信長に反旗を翻してしまい。有岡城に中心に高槻城、茨木城、尼崎城、花隈城には兵を置き守りを固めたが、池田城は池田知正は協力的ではなかった為に守りは固めなかった。織田信長は各城を次々と落とし池田城も織田側の城として利用された。
荒木村重は追い詰められ単身で尼崎城へ脱出、有岡城を守る池田知正を織田信長は知正や村重家族を人質として荒木村重の使者として講和の説得したが失敗し罪を怖れた池田知正は出奔し、残った家族は織田信長により処刑されてしまった。
結局荒木村重は毛利方に逃げたので荒木村重の謀反は終結と同時に池田城も廃城となった。
池田城は池田城公園と整備されています。
撮影ポイント①〜⑲です。
橋の下は空堀になっています。
秋に行ったので紅葉が素晴らしい
③東門
④東門入ったらいきなり石飾
⑤北側に向かう右隣は管理棟
⑥北門
⑥北門の東側は城塀
⑦茶室
⑧茶室から少し歩くと模擬天守が
⑨模擬天守が見えました
⑩西門
⑩西門の先は急階段になっており
③東門
④東門入ったらいきなり石飾
⑤北側に向かう右隣は管理棟
⑥北門
⑥北門の東側は城塀
⑦茶室
⑧茶室から少し歩くと模擬天守が
⑨模擬天守が見えました
⑩西門
⑩西門の先は急階段になっており
礎石が見える
来年度もたくさん城巡りしたいもんですね。









































































































