毎日新聞 2012年04月03日 地方版
残念ながら横浜高校のベスト4進出はならなかったが、決勝をかけた2日の熱戦を見ながら、28年前のセンバツ取材で、球場内を駆け回った記憶がよみがえった。
高校野球の取材をしたのは初の支局勤務となった新潟だった。県立新津高校が北信越代表として出場が決まった時から、甲子園まで密着取材をした思い出だ。出場が決まった時、部員たちは雪のグラウンドでガッツポーズした。新潟県勢として8年ぶり、3回目の出場。実戦形式の練習ができない雪国のハンディ。センバツ未勝利県の重圧もあったと思う。
地元の新津市(現・新潟市)は喜びに沸き返り、大応援団をどう甲子園に送り込むかで盛り上がった。毎日のように学校に通い、甲子園では部長や監督と酒を酌み交わしたから、情も移った。
「気がついたら試合が終わっていたんだよね」。監督の言葉は甲子園という大舞台の怖さを表現したのだと思う。八回に左前打が出て、辛うじてノーヒットノーランは免れた。甲子園原稿の前書きで「学んで散った」と書いた。
ところで、今年のセンバツも私立校同士の決勝になるが、「公立校の甲子園出場はハードルが高過ぎるのではないか」との指摘が前から気になっている。今年のセンバツ出場32校のうち公立は9校。それも「21世紀枠」の3校を含めた数字だ。
「野球留学」「専用球場」という言葉で選手層や練習環境の格差を口にする人もいる一方で、「同じ高校生。批判するのはおかしい」とする向きもある。だが、今はどうか知らないが、屋内練習場もなく、雪の中の走り込みと、体育館での素振りといった当時の新津高校の練習風景を思い出すと、ちょっと釈然としない気もしている。