毎日新聞 2012年03月23日 地方版
第84回選抜高校野球大会第2日の22日、第1試合で九州学院(熊本)に0-6で敗れた女満別(大空町)。オホーツク地方からは40年ぶりの甲子園で、チャーター便が運航するなど町民の期待を集めたが、力及ばなかった。一回にリードを奪われ、得点圏に走者を進めながらも適時打が出なかった。だが、厳しい冬を乗り越えて練習に励み、甲子園でも全力プレーを貫いたナイン。「夏に再び甲子園に戻ってくる」。再起を誓った。
▽1回戦第1試合
九州学院 410001000=6
女満別 000000000=0
「打たれるのはしょうがない」。「つなぐバッティングをしよう」。一回、主戦の二階堂誠治投手(3年)が先攻の九州学院打線につかまり、4点を与えたが、選手たちの気持ちは前を向いていた。「さあ頑張ろう」。アルプススタンドに陣取った応援団からも選手を後押しする声が飛んだ。
その裏、2死から近藤塁選手(3年)が九州学院・大塚尚仁投手(3年)の3球目を右中間に返し二塁打。「2球続けてインコースのまっすぐが来た。次来たら打とうと思った」と狙っていた球だった。父哲雄さん(50)は「打った瞬間はうれしくて体が震えた。塁は親の夢を一つ一つかなえてくれる」と喜んだ。
続く芳野順哉選手(3年)の一打は遊撃手に好捕され、得点できなかったものの、二回以降は、ほぼ互角の試合展開。二階堂投手は本来の投球を取り戻し、七回の無死満塁のピンチも無失点で切り抜け、打線の反撃を待った。
打線は三、七、八回以外は安打を放つも、あと1本が出ない。五回には振り逃げと平田悠人主将(3年)の中前打で2死二、三塁の好機を作るが、後続が三塁ゴロに倒れた。
九回二死。菅原賢人選手(3年)が2ストライクと追い込まれると、高山佑樹選手(3年)が鈴木收監督の伝令を務めた。「フルスイングしろ」。だが苦手なインコースを突いてくる大塚投手の投球に「迷いがあり、振れなかった」。見逃し三振に倒れ、女満別のセンバツは終わった。
だが、スタンドは選手を励ます声であふれた。女満別高2年、佐藤由樹菜さん(16)は「野球部の姿を見て自分も頑張ろうと思った」。同3年の高田翔生(しょうき)さん(17)も「入学したときは甲子園なんて考えてもいなかった。野球部は寒い中でも練習を頑張っていた」とたたえた。
試合後、選手たちは悔しさを感じながらも、涙は見せなかった。「夏の大会までにフルスイングを徹底しよう」。選手たちは声をそろえた。
◇同窓会が直行便
○…女満別の同窓会などでつくる「甲子園出場協賛会」(小松英二会長)が地元から関西空港までの直行便をチャーターし、応援に駆け付けた。女満別空港からは大阪までの定期運航便がないため、160~170人乗りの2便を借り切った。三塁アルプス席には、センバツ出場のために作った空色のTシャツなどを着た約1400人の大応援団が声援を送った。
◇平田家応援団14人
○…平田悠人主将(3年)の両親と親戚の計14人が「平田家応援団」として甲子園に駆けつけた。父和史さん(46)と母真由実さん(45)のほか、旭川市や山梨県、岐阜県などの親戚で、スタンドに横一列に並び、平田選手が安打を放つと、手をたたきながら「よくやった」と大喜び。平田選手の叔父の高橋基(もとい)さん(71)=旭川市=は昨年7月から、はがきに試合結果などを印刷し、「いとこ通信」を郵送してきた。「悠人君のおかげで一家の絆も深まった。『ありがとう』の一言です」
◇地元から友情演奏
○…地元の尼崎小田高(兵庫県尼崎市)の吹奏楽部が、三塁アルプス席でトランペットや太鼓を鳴らし、初出場の女満別を応援した。女満別から大きな楽器を運ぶのが難しいため、野球部顧問同士で交流のあった女満別から尼崎小田高に演奏を依頼。21日には女満別の部員3人も加わり音合わせをし、約40人で試合に臨んだ。尼崎小田高で部長を務める伊藤奈々さん(17)は「甲子園では一度も演奏したことがないからうれしい。精いっぱい演奏したい」。
◇大空町でも声援 町民ら150人観戦
女満別の地元の大空町では、町議会議事堂にテレビの大型プロジェクターが設置され、町民ら約150人が熱い声援を送った。
序盤にリードされたが、女満別の選手が出塁するたびに大歓声が上がった。北見市の野球少年団で投手を務める村井健士君(12)は「最後まであきらめない姿に感動した。僕も女満別高に進学し甲子園に行きます」。小学生の息子が野球をしている同町の鈴木真寿美さん(40)は「うちの子の励みになった」と感激していた。
野球部員の〓の管理人、大和田耕二さん(58)は「九州学院は場慣れしている」と力の差を認め、同町の会社役員、中山登さん(61)は「次は夏の甲子園出場を」と期待を込めた。
◇野球と出合い2年 「仲間に追いつこう」合言葉に
女満別の丹治海里(たんじかいり)選手(3年)と中井巧選手(同)は、高校入学後に本格的に野球を始めた異色の存在だ。互いに切磋琢磨(せっさたくま)しながら、2年間で甲子園のベンチまでたどり着いた。試合に出ることはなかったが、「野球に出合えて本当に良かった」と喜びをかみしめた。
丹治選手は中学校で卓球部に入部。しかし、女満別高野球部OBの父良一さん(46)から、「負けたら終わりの緊張感や高揚感は高校野球でしか味わえない」と魅力を聞かされ、次第に気持ちが野球に傾いた。中学3年の時に「女満別高で野球がしたい」と特訓を開始。自宅前で良一さんに投球や素振りの指導を受けた。
中井選手は小学生の時、野球をしていたが、中学校に野球部がなく中断。一人で壁にボールを投げ、素振りをしてきた。
だが、2人は入部後、他部員との実力差に衝撃を受けた。当初は外野フライも満足に捕れず、ピッチングマシンの球にもかすらない。「追いつこう」。練習後にピッチングマシンを持ち出して、2人で特訓した。帰宅はいつも最後だった。
この日、2人はベンチから声を張り上げてナインを鼓舞し続けた。試合後、丹治選手は「あっという間だったが、夢の舞台に立てて楽しかった」、中井選手は「テレビで見るより広い球場だった」と話し、「レギュラーとしてもう一度来たい」と声をそろえた。
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■球詩
◇頼れる4番に--女満別・芳野順哉選手(3年)
大観衆の前でも、プレッシャーは感じなかった。落ち着いて打席に入り、来た球を無心ではじき返した。「甲子園では打てる」。試合前の言葉通り2安打を放つ活躍を見せた。
決して順調な仕上がりではなかった。3月上旬から練習試合を6試合こなしたが、無安打だった。スイングが鈍く、投球とタイミングも合わない。3カ月ぶりの実戦に加え、学年末テスト期間中の練習不足が原因だった。
だが、焦りはなかった。「春は毎年調子が悪い。公式戦前はいつもヒットが打てない」。毎日500本のスイングを繰り返すなど、大舞台に打撃のピークを合わせてきた。
チームが散発6安打、三振10と苦戦する中、右前打と中前打を放った。残る2打席も相手の好守にはばまれたが、ヒット性の当たりだった。
だが、結果に満足していない。「夏に向けスイングを強くし、右中間を抜ける長打を打てるようにしたい。文句の言われない4番になりたい」