今年4月に駒大岩見沢高の監督に就任、3季連続出場の甲子園では、同校初の夏1勝を挙げた高橋真次監督(34)。30年の指導で強力打線の伝統を築き上げ、一代で駒岩に黄金時代を築き上げた名将・佐々木啓司総監督(52)から“ヒグマ打線”を継承する重圧、思いを聞いた。
―この1年は
高橋監督「慌ただしく4月に入って急に監督の話があって、一気に通り過ぎた」
―監督就任のきっかけは
「学校の事情で佐々木先生が部長に上がり、自動的にコーチから昇格しました」
―コーチ時代は
当初は、コーチも誰もおらず、佐々木先生が1人でやっていたので、公務員時代から業務終了後に手伝いに来てました。それでうまく流れができて、学校に泊めさせてもらって、手伝う環境が整った」
―指導体制は
「部員も増え、佐々木先生だけでは大変で、恩返しのためサポートしたいと。肩書はもらいましたが、先生の息子さん(達也監督代行、25)も加わりスタッフも4人に。きちっとやれています」
―指導方針に変化は
「何も変わりません。佐々木先生も練習に来るし部長としてベンチにもいます」
―ヒグマ打線誕生のきっかけは
「佐々木先生が伝統を作るために行った。30年近く前の話です。1度も甲子園に行ったことのない学校を1人で強くする中で、投手より打線を強くしようと考え、生徒に合ったものを培ってきた」
―佐々木監督の打撃指導は
「型にはめない。一人一人と話し合い、個人に合ったスタイルを一緒に作り上げていく。わざと(体勢を)崩しながら打ってみたりして、打ち方のバリエーションを増やす。だから試合の中でもすぐに対応できる」
―高橋監督の目指す野球スタイルは
「同じことばかりやってもだめ。佐々木先生と一緒にやるのがベスト。僕が守備、バント、走塁といった細かいものを教え、佐々木先生の打撃、達也コーチの投手と融合できればいい。自分のやってきたことしか伝えられない」
―今秋の大会では北北海道唯一のベスト4、優勝した鵡川にもいい勝負をしました
「前半五分に戦えたことを自信にして。負けた試合の方が収穫があるものです」
―来年のチーム像は
「今年はチームが見えないまま秋まで突っ走った。新チームは機動力が使える。出塁率のいい1、2番がいるので、あとは大きいのが打てる主軸をそろえていきたい」
―カギになる選手は
「絶対勝つときにはくさびになる選手がいる。足があって送りバントができて、選球眼があって。つなぐ野球ができないと勝てない」
―冬場のスイングノルマは
「1日500~800、1000ぐらい。年越し前は体力強化。まずは振る力から」
―監督のモットーは
「楽しい野球で勝てれば一番。大会中はベンチでニコニコ。失敗を怖がらせない野球が理想」
―趣味は
「持てない。休みは子どもとのんびりしたい。大会中に家におらず、2歳の子どもに拒否された。家族には申し訳ない」
―監督としての最終目標は
「まだ僕が全部引っ張って何十年やりますと簡単に思える職ではない。1年やっただけで家族も犠牲にして、こんな思いで佐々木先生は30年もやっていたのかと。マネできないなと。今はまだ恩返しの延長上。でも次の人間を育てないとダメ。監督の息子も帰ってきたし、そういう人間が引っ張っていくためにつなぎながら、次に託せるようにしていきたい」
―佐々木先生とは
「20年近く一緒。僕には父親がいない。(監督には)大学、就職と、節目節目の大事な時期にいろんな道への方向付けをしてもらった。父親代わりで、絶対的存在。恩師は絶対超えられない。だから、いつか母校に勝ちたいと思ってやっている(駒岩OBの)他校の指導者には負けられない」
―監督にとって甲子園とは
「夢の場所。行き続けないと勝てない場所。もう行くだけではだめ。何回行っても新鮮な気持ちになれる場所です」
◆高橋 真次(たかはし・しんじ)1974年7月25日。岩見沢市生まれ。駒大岩見沢高時代は9番、二塁手として92年のセンバツに出場。札幌大に進学したが1年で中退。その後、北村(現岩見沢市)役場に勤めながら、外部コーチとして後輩たちを指導。00年から同校事務職員になり、野球部コーチに正式就任。今年4月から監督に昇格した。家族は夫人と2女。
◆駒大岩見沢高 1964年に駒沢大学の附属高校として設立。部員は95人。甲子園には83年のセンバツに初出場し、いきなりベスト8。これまでに春8回、夏4回出場し、最高は93年の春ベスト4。07年から北北海道大会に編入した。主なOBに本間満、佐藤誠(ともにソフトバンク)、古谷拓哉(ロッテ)、スキージャンプの岡部孝信らがいる。岩見沢市緑が丘5丁目102番地。