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 ◇「愛知のレベル底上げしたい」--元愛工大名電、豊田大谷監督・中村豪さん(66)
 愛工大名電と豊田大谷の野球部監督を合わせて29年も務めた中村豪(たけし)さん(66)は、昨年11月の引退後も野球から離れられない。自宅で小中学生の野球教室を開いたり、地元高校の野球部アドバイザーを買って出たほか、野球講演もこなす日々だ。「今までの自分の指導方法を見つめ直し、新たな底辺強化に役立ちたい」。現役監督を退いても意気盛ん。

 吉良上野介や尾崎士郎で知られる愛知県吉良町が中村さんの住まい。名鉄西尾線の吉良吉田駅から歩いて数分の市街地に、鉄筋コンクリート3階建ての自宅がある。酒屋だったのを10年前に買い取り、昨年12月から住み出した。

 その15メートル四方ほどの裏庭で開くのが野球教室。もちろん、ボランティア。「向かいの小学5年生がソフトボールをしていて、おばあちゃんから頼まれたのがきっかけ。それが口伝えに広がり、通う子が増えたのです」と中村さんは言う。

 毎週月曜の夕方5時から約2時間、野球の基本技術や心構えを教える。通うのは地元や隣接市町の小学5年から中学3年まで。現在7人。それぞれ学校で野球部に所属する。チームではないから試合はなく、あくまで基本の修練に徹する。

 今月4日夕、7人がバットやグラブを手に現れた。「お願いします」。あいさつから始まり、まず1人ずつティーバッティング。カラーボールやテニスボールを1人1回50~60球ずつ、張られたネットに向かって打つ。全部で1人3ラウンドをこなす。同時並行でスイングも練習し、1人数百回を振る。さらに、体操競技の平均台の上でシャドーピッチング。投球フォームを確かめ、バランス感覚を養う。最後は感謝の言葉で終わった。

 「ほとんどがズブの素人なので、ゼロから手取り足取りで教える。基本技術を備えて意識も高い高校野球部員とは大きく異なり、最初はどう指導すべきか当惑した」と明かす。しかし、それが中村さん自身の教え方を見つめ直し、新たな指導方法を生み出す機会ともなった。

 「我流も手あかもついていない素人を教えることは、白いキャンバスに絵を描く快感にも通じて面白い」

 こう考えた中村さんは県立吉良高校野球部のアドバイザーを自ら買って出た。伊澤和史監督(33)が大学の後輩だったことがきっかけ。学期中は週1日以上、夏休みは何日も顔を出す。ここでも技術の基本を中心に、心構えを教える。「私立が圧倒的に強い愛知で県立を強めることは、底辺強化にもつながり、とても有意義だ」と話す。

 背景に流れるのが「野球は人生や社会の縮図、格好の教育の場」ととらえる中村イズムだ。「勝つためにみんなで鍛え、互いに協力し、思いやらねばならない。そのどれを欠いても強くなれない」。同時に、講演ではこうも強調する。「勝つことだけが野球の目的ではない。チームのレギュラーになれなくても、補欠で得た貴重な人生体験は計り知れない。あくまで人生のレギュラーを目指してほしい」

 野球部寮で部員や家族と一緒に過ごした29年間とは一変し、現在の中村さんは趣味の絵画や盆栽、写経などをしながら、好きな野球を続ける悠々自適の生活。「7月に日米通算3000本安打を達成したイチローの活躍や野球教室の子供たちに触発されてます。日日是好日です」。中村さんは細い目を一段と細めた。

 ◇プロ選手14人を育てる
中村さんは名古屋市生まれで、名古屋電気高校(現愛工大名電)、愛知学院大から電電東海(NTT東海、のち解散)へ進み、投手や一塁手で活躍した。78年に愛工大名電の野球部監督となり、春2回と夏3回の甲子園出場を果たす。02~07年、豊田大谷監督を務めた。名電時代の教え子には横浜ベイスターズの工藤公康や楽天イーグルスの山崎武司、米大リーグ・マリナーズのイチローなどプロ野球選手が14人いる。06年には選手の育成に貢献した指導者に贈られる日本高野連の育成功労賞を受けた。著書に「イチローに教えたこと、教えられたこと--恩師が語るイチローの原点」がある。

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