毎日新聞 - 2008/7/1 17:00
◇甲子園5回出場
日田市の私立・藤蔭高野球部監督、原田博文さん(62)が、夏の全国高校野球選手権大分大会を最後にユニホームを脱ぐ。攻撃的な機動力野球で春・夏合わせて県立・日田林工高時代に3回、藤蔭高で2回の計5回、球児を甲子園に導いた「九州の暴れん坊」。勇退を惜しむ声も強い。
原田監督は県立日田高野球部で二塁手として活躍し、民間会社を経て70年に日田林工高野球部監督に就任。当時「日田から甲子園」は夢のまた夢の時代。練習は厳しく、「周囲から奇人変人の目で見られ、自分の感性だけで死に物狂いだった」「相手に食らいつく勝利至上主義だった」と振り返る。
73年夏の甲子園に初出場し、ベスト16。76年春(センバツ)も快進撃してベスト4。78年夏は3回戦進出。81年に県立森高に転出したが90年に藤蔭高に迎えられ、いきなり夏に出場(初戦敗退)。関係者を驚かせた。95年春も初戦敗退。負けた相手は5回のうち3回が優勝校だった。
最近は県予選で上位進出するものの惜敗続き。学校側の事情で勇退するが、闘志はなお盛ん。「若者たちと夢を追い続けたが、野球は自分の存在感の証しでもあった。野球を通じて心技体やチームワークを鍛えた。新チーム結成まで見届けたい」と話す。
◇甲子園5回出場
日田市の私立・藤蔭高野球部監督、原田博文さん(62)が、夏の全国高校野球選手権大分大会を最後にユニホームを脱ぐ。攻撃的な機動力野球で春・夏合わせて県立・日田林工高時代に3回、藤蔭高で2回の計5回、球児を甲子園に導いた「九州の暴れん坊」。勇退を惜しむ声も強い。
原田監督は県立日田高野球部で二塁手として活躍し、民間会社を経て70年に日田林工高野球部監督に就任。当時「日田から甲子園」は夢のまた夢の時代。練習は厳しく、「周囲から奇人変人の目で見られ、自分の感性だけで死に物狂いだった」「相手に食らいつく勝利至上主義だった」と振り返る。
73年夏の甲子園に初出場し、ベスト16。76年春(センバツ)も快進撃してベスト4。78年夏は3回戦進出。81年に県立森高に転出したが90年に藤蔭高に迎えられ、いきなり夏に出場(初戦敗退)。関係者を驚かせた。95年春も初戦敗退。負けた相手は5回のうち3回が優勝校だった。
最近は県予選で上位進出するものの惜敗続き。学校側の事情で勇退するが、闘志はなお盛ん。「若者たちと夢を追い続けたが、野球は自分の存在感の証しでもあった。野球を通じて心技体やチームワークを鍛えた。新チーム結成まで見届けたい」と話す。