台湾と韓国に日本が残したものは・・・ | 人差し指のブログ

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「 バカの壁をぶち壊せ! 正しい頭の使い方 」

日下公人 (くさか・きみんど 1930~)

養老孟司 (ようろう・たけし 1937~)

株式会社ビジネス 2003年10月発行・より

 

 

 

 

 

 

養老 毛沢東は海南島まではすぐ落とせたけれど、台湾が落とせず残っ

    たのは、日本の下部の行政機関がそのまま残っていたからだと思

    います。

 

 

    戦後、中国本土から(蒋介石の)兵隊がやって来て、すぐに機能した

    のは、学校から、道路まで、日本軍が立派なものを造っていたから

    です。

 

 

日下 小学校なんか、日本国内より立派なものを造っていました。

 

 

    その建設費に相当するものを返してもらっていない。

    だから、台湾政府は日本と戦後交渉をしません。

 

 

    没収した日本資産が巨額だからです。

 

 

    韓国とは、昭和40(1965)年に、交渉しました。

 

 

    当時、日本の外務省にもしっかりした人がいて、数字を付き合わせ

    たら、日本のほうがお金をもらわないといけないから、個人の住宅

    や学校、工場、発電所などの置いてきた財産の分を払ってほしいと

    言いました。

 

 

    すると、向こうは居丈高な態度に出て、そんなものは帳消しだという

    ことで、日本は当時、8億ドルを払ったんです。

 

 

    朝鮮から日本へ帰って来た人は、悲憤の涙をのんで、日本政府に

    要求していました。

 

 

    朝鮮に残してきた個人の貯金や財産は、日本政府の命令で捨てた

    のだから、日本政府が払ってくれということでしたが、うやむやに

    なってしまいました。

 

 

養老 日本の植民地時代の朝鮮に、国家予算の40%もの金額を投下し

    ていた年もありました。

 

 

    植民地にそんなに投資する国なんて世界のどこにもない。

 

 

    イギリスが歳出の半分をインドに投資していたなんていう話は全く聞

    いたことがありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月25日の奈良・興福寺・・・・・・・・芝生の黒い点々は鹿の糞です。