「 人生にとって組織とはなにか 」
加藤秀俊 (かとう ひでとし 1930~)
中央公論社 1990年9月発行・より
いささか衝撃的な数字だが、1989年の統計によると、年間の倒産件数は一万件をこえている。
創業当時は夢と希望にみちたスタートをきっても、これだけの会社がつぶれているのである。
倒産以前に、他の会社から買収・合併といった形でどうにか生き残った会社はこの数字よりはるかに多いだろう。
債務を清算して解散した会社も少なくないはずだ。
商法は各種の会社について、設立の手続きを最初に明確にしているが、それぞれの条項の終りのほうを見ると、「解散」 「清算」 についての規定がある。
ちょうど人間に誕生と死亡があるのと同じように、法人もまた誕生とならんで死亡という現実があるのだ。
もちろん、だれだって死ぬのはいやだし、そもそも 「死ぬ」 ことなど普段は考えてはいない。
できるだけ 「死」 というものを意識の外に置いて生活している。
だが、組織にも 「死」 はありうるのだ。
普段、商法をひもといているときは日常の運営だの株主総会のことなどを勉強しているのが普通であって、人はめったに 「解散」 の部分などは読まない。
それは当然のことだ。 みんな組織の不滅を信じているからである。
しかし、つぶれる時はつぶれるべくしてつぶれる。
世の中、そんなに甘いものではない。
事実、倒産、吸収・合併、解散などをふくめて日本の会社組織の 「平均寿命」 をとって見ると、驚いたことに、ほば五年なのだ、という話を聞いたことがある。
一年間に、東京都内だけで法人の設立登記はほぼ二万だが、平均でいうと、それと並行して年間四千ほどの会社組織が解散したり倒産したり、あるいは吸収・合併されている勘定になる。
法人の寿命など、考えようによっては儚(はかな)いものなのだ。
4月7日の奈良公園
大仏殿の北(裏)側