「 山本七平全対話 6 根回しの思想 山本七平他 」
山本七平 (やまもと しちへい 1921~1991)
株式会社学習研究社 1984年11月発行・より
~根回しの思想 長富祐一郎(ながとみ ゆういちろう 元官僚 1934~2013)~
[山本七平] 徳川時代は一時(いっとき)の時間は違うんですけれど、お城
の上に時計の間というのがあって、御時計師という人が
一人いて、時計をつくり、調整すると同時に時報係なんです。
これが太鼓を打つわけです。
みんなは六つとか八つとかいって、それで生活している。
それが明治の初めになると、きょうから要らねえって、ぱっと捨てちゃうんです。
ムーデーというイギリス人が二束三文で買い集めて、ムーデーコレクションというのは和時計の世界的なコレクションです。
明治五年に太陽暦採用で定時法になる。それからランプが入る。
もう不定時法を使う必要はないといった瞬間に、やめちゃうんです。
だから、和時計の時計師は全部、一時食えなくなるんです。
だいたい時計師というのはひどいんだな。
八十石から百五十石ぐらいもらっている。
しかも殿様から時計を頼まれると、見積書を出すわけです。
その見積もり計算は百五十両ぐらいになる。
ところが一方、アルバイトで勝手につくっていて、町人に売るときは十二、三両なんです。
だから、十倍ぐらい高く殿様には売っているわけです。
その上、禄をもらっているんですよ。
(略)
うまいことをやってたのが、明治五年の太陽暦、定時法の採用で一挙に失業するんです。
廃藩置県で失業して、ここで注文がなくなる。
食えないんですよ。
そこへアメリカからぼんぼん時計というのが入ってくるわけです。
なにしろ関税がかからないでしょう、日米通商航海条約で、定額法と定量法のむこうに有利な方をとって五パーセントですか、だから、関税はなきに等しいから、向こうは日本の時計の市場を抑えた。
そのときに何をするかと思うと、日本の時計師たちがそれを分解して、その通りのものを、やすり一本でつくっちゃうんです。
時計博物館にアメリカのぼんぼん時計と、日本の時計師が模造したやつがあるんですけれど、いま見てもわからないんですよ。
模造したのは一個四円、アメリカから輸入すると一個十四円。
片一方は何しろやすり一丁でつくっちゃうんです。
それがおかしいんです。あそこまで安くする必要はないんだけれど、
一ダース二十四円なんていう広告を出す。
そうすると一個二円なんです。
日清戦争の後になると、今度はどんどん輸出に転じまして、中国、東南アジア、南洋一帯からアメリカの時計を全部 駆逐するんです。
だから、貿易摩擦は当時からあるんですけれど、あんなに和時計をずっとつくっていたのが、これはいかんと、急に洋式時計に切りかえて、平気でつくり始めるんです。
こっちがいいと思ったら、それに切りかえ、同時に自分の生活に合うように、時計を全部変えちゃう。
この話を IBM 社長の椎名さんにしたら、いまのコンピューターはみんな和時計だと。
つまりね、コンピューター言語というのは英語でできている。
だから、どうせ日本ではできっこないと向こうは思ったというんです。
ところが、入力は日本語で、英語に変って、出るところは日本語というのを日本人はつくっちゃった。(笑)。
まさに和時計だっていうんです。
紅梅が咲き始めました。 2月4日の奈良公園