小説にしたら「小村寿太郎記念館」が出来た  | 人差し指のブログ

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「 歴史を記録する 」

吉村昭 (よしむら あきら 1927~2006)

株式会社河出書房新社 2007年12月発行・より

 

 

~  作家の運命 吉村文学の今と昔 大河内昭爾  ~

 

 

 

 

 吉村  歴史というのはそういうものですよ。

 

 

      小村寿太郎にしても、日本海海戦を書いて、ポーツマス条約の

      ことにも触れたわけです。

 

 

      そしたら新潮社の出版部長が来て、わたしの書いているものは

      一般の定説と違うっていうんです。

 

 

      あれは屈辱外交だったと言われている。

 

 

      その違うところを書いてくれませんかというので、じゃあ書きまし

      ょうということになって。

 

 

      そのときに小村の生地である、あなたの故郷の宮崎県の、

      日南市にも行ったわけです。

 

 

      そうしたら何も資料ないんです。

 

 

      しかも屈辱外交といわれているから、小村寿太郎を書いてもらう

      と困るという雰囲気なんです。

 

 

大河内 なるほど 宮崎っていうのはね。

 

 

 吉村  いやいや、慎ましい人ばっかりです。 ほんと何もなかった。

 

 

      外務省の外交史料館という外交資料があるところに入っていく

      と、入口の左側にガラスケースがある。

 

 

      そこに三人の偉大な外交官の写真が飾ってあるんです。

 

 

      左側が吉田茂、真中が小村寿太郎。

      資料の上では偉大な外交官なんです。

 

 

 

      ぼくが書いたら、今は 小村寿太郎記念館 が出現した (笑)。

 

 

大河内 ぼくも行きましたよ。はじめて 『宮崎日日新聞』 に頼まれて宮崎

      に一緒に行ったでしょう。

 

 

      あのときに 「小村寿太郎記念館に行ったらフロックコートがおい

      てあるけど、それを見て七五三の服なんて言うなよ」 とあなたが

      言ったのが印象に残っている。

 

 

      非常に小さい服だった。 

 

 

 吉村  あの人身長143センチですから。

 

 

      ポーツマスに行ったとき当時衛兵だった九十何歳の人に会った

      んです。

      会議場に立ってた衛兵で身体の大きいひと。

 

 

      その老人に 「小村寿太郎って随分小さいと思ったでしょう」 と

      聞いたら、「とんでもない、一国を代表した堂々たる男に見えた。

      小さくはなかったはずですよ」 って言うんです。

 

 

大河内  一流の人物は体の大小を越えている。

 

 

 吉村  まあ、そんなことをいろいろ調べたわけです。

 

 

大河内 そういう話を聞くと刺激を受けますね。

 

 

 吉村  だから宮崎県人はもっと誇りをもたなければ・・・。

 

 

大河内 戦争中は小村寿太郎のことを余り言わなかったです。

 

 

 吉村  うちの親父だって、「あれは屈辱外交の外交官だ」 って言ってた

      もの。

 

 

大河内 あなたの作品にも出てくるけど、屋敷に石を投げたっていうんだ

      から。

 

 

 

初出 「作家の運命:吉村文学の今と昔」 『季刊文科』 (22号) 02,夏

 

 

                                   

 

 

 

2018年11月11日に 「落語家を励ます小村寿太郎」 と題して徳川夢声の文章を紹介しました。コチラです。 

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12417606844.html?frm=theme

 

 

 

 

よく見たら右下に鹿のフンが・・・・9月21日に奈良県庁の駐車場で撮影