明治天皇と嵯峨天皇の書 | 人差し指のブログ

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「 山折哲雄対談集 日本人のこころの旅 」

山折哲雄 (やまおり てつお 1931~)

株式会社講談社 2006年1月発行・より

 

 

  ~ ドナルド・キーン(1922~2019) 日本人の美意識と宗教 ~

 

 

 

キーン 明治天皇が一番最初に覚えたのは何かというと、字を書くことでし

     た。

 

     初めて書いた字が残っています。

 

 

     母親の実家の名字だった 「中」 「山」 という二つの字。

     どちらも書きやすい字です。

 

 

     明治天皇の一番最初の先生は書道の先生でした。

     それは非常に大切です。

 

     良い字を書くことは美的なことですから。

 

 

      私の知る限り、他のことを書けたかどうかわかりません。

 

     しかし日本ではどうしても立派な字を書かなければならない。

 

 

      つまり、字を見て彼の本質がわかる。

     どんなに素晴らしい天皇であるかすぐわかります。

 

 

     私は例えば嵯峨(さが)天皇の字を見て、これはすごいと感じま

     す。

 

     そういうことで人の評判が決まることもあるんですね。

 

 

山折  今、嵯峨天皇のお話が出ましたけれど、嵯峨天皇が非常に信頼

     した僧侶が空海ですね。

 

     空海も書が非常に優れていました。

 

 

     嵯峨天皇と空海というのはともに書の名人と言われたわけです

     けれども、空海の文章を読んでおりますと、書が政治の根本だと

     書いてありますね。

 

 

     そういう思想というのは、もとをたどると中国まで行くと思います

     が、中国では必ずしも皇帝は文化・教養を身につけて政治を

     きちんと行っていたわけではない。

 

     どちらかというと権力者になっていった。

 

 

     ですから 「書・芸術は政治なり」 という思想は、むしろ日本に

     来て非常に大きく花開いたという気がするんですね。

 

 

キーン そうです。 中国の場合、皇帝は軍人だったでしょう。

 

 

     特に元や清の時代などは外国人の時代で、よそから来た、

     いわゆる”野蛮人”が皇帝になった。

 

 

     それは力で皇帝になったと考えてもよろしかろうと思います。

 

     字が上手だったかどうかは別問題です。

 

 

     しかし日本の場合、ずっと昔から天皇は軍人としては全然活躍

     しませんでしたね。

 

 

 

                    昨年12月29日 奈良公園にて撮影