江戸と明治の漢語 | 人差し指のブログ

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「 夷齋座談(いさいざだん) 石川淳対談集 」

石川淳 (いしかわ じゅん 1899~1987)

中央公論社 昭和52年12月発行・より

 

藝術・東と西    佐々木基一 / 武田泰淳 / 花田清輝 / 石川淳

 

 

 

 

石川  漢語ということでは、明治の三十年くらいまでが一番強いですね。

 

 

     江戸と比較して、江戸時代はあんな無茶苦茶な漢語使っていない

     ような感じがするんですね。

 

 

花田  そうですね。

 

 

石川  ぼくは東京生まれの立場でいうと、薩長みたいな劣紳が入って

     来たでしょう。

 

 

     あれで だいぶ乱れて来たような感じがしますね。

 

 

武田  それはたしかね。 官軍がね。

 

 

石川  官軍というのは無学でしょう。

     無学の連中に限って漢語使いやがる。

 

     そういうところが あったんですね。

 

 

武田  そうですね。 東京というのは たしかにそういう点は ないな。

 

 

石川  江戸の侍というのは そんなに漢語使っていませんよ。

 

     江戸といってもずいぶん長いけれど、末期の人情本の出た時代に

     なると、旗本の言葉も、町家の庶民の言葉も似たような言葉使っ

     ていますね。

 

 

武田  勝海舟なんか。

 

 

石川  勝海舟なんかそう。  あの人なんか使って いませんものね。

 

 

花田  しかし成島柳北というのは感心したんですけれど。

     (成島柳北・江戸の儒者、明治以降はジャーナリスト)

 

 

石川  面白い人ですね。

 

 

花田  文章も、漢語ですけれどすごく洗練されている。

 

 

石川  漢語で書いているけれど、『柳橋新誌』 なんか、漢文体の江戸

     弁。

 

 

佐々木 しかしやはり、いまだにああいう江戸の人と、薩長の田舎侍という

      か、そういうものに対する反感というかな、軽蔑というか、そういう

      ものはある。

 

 

石川  軽蔑というよりも異民族として見る。

 

     そういう区別をつけたほうがわかる。    面白くなる。

 

                       ~ 新日本文学  昭37・12 ~

 

 

 

 

 

                       奈良・興福寺にて 8月5日撮影