信長・秀吉・家康の「天皇にたいする態度」 | 人差し指のブログ

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「 この刺激的な眼  草柳大藏歴史対談集 」

草柳大藏 (くさやなぎ だいぞう 1924~2002)

有限会社 ワイエス出版 平成6年12月発行・より

 

~ 現代にも生きる信長の国際感覚、対外策 

                                          ジョージ・フィールズ(1928~2008) ~

 

 

 

草柳 リーダーの資質みたいなものを見ていくと、三者三様で実におもしろ

    い。

 

 

    信長と秀吉と家康は天皇に対してどう対処したかを見るとそれが

    わかる。

 

 

    信長が天下を取ったあとは正親町(おおぎまち)天皇の時代です。

 

 

    当時、正親町天皇を中心とする皇室は今でいう侍従長や女官を

    入れても十一人しかいなかった。

 

 

フィールズ もうその時代には天皇家はシンボル化していたんじゃないで

        しょうか。

 

 

草柳 信長はこの天皇家に対して、毎年、米を百二十俵差し出して 

    「これだけあげますから売るなり、食べるなり自由にしてください」 

    といって、米の仲買人まで紹介してやってる。

 

 

    その上、相場の張り方まで教えているんですね。

 

 

    おまけに 「儲かったら三割ください」。

    つまり税金を取ってるんです(笑)。

 

 

    天皇家をひとつの機関として置いてしまう。完全なシンボル化です。

 

 

フィールズ なるほど、考えてますね(笑)。

 

 

草柳 ところが秀吉になると皇室に対してメロメロなんです(笑)。

 

 

フィールズ 士族じゃないから(笑)。

 

 

草柳 そう。それでね。 両敬思想という両方を敬うヘンな思想を御用学者

    につくらせて、後陽成天皇の弟を秀吉の猶子(ゆうし)として迎え入れ

    て八条宮という名前をつけちゃう。

 

 

    それとひきかえに関白となり殿上人になるわけです。

 

 

     彼は天皇と同列に並ぶことで両敬思想をつくり、自分も皇室の

     一人になるんです。

 

 

フィールズ だから、おもしろいのは、日本には改革家といっても本当の

        意味の”革命家”ってのはいないんですね。

 

 

        既存のワクの中で革命をするわけで革新なんです。

 

 

        信長、秀吉、家康にしても、結局は皇室のワクはそのまま残

        している。

 

 

草柳 そう、それでいまの話の続きですけど、家康はどうしたかというと、

    これが大変おもしろいんです。

 

 

    公家諸法度(くげしょはっと)を作ります。

    これはお公卿さんの守るべき憲法なんです。

 

 

    その第一条が 「第一のことは学問のことなり」 です。

    けれど、学問して頭が良くなりすぎても困るんです。

 

 

    孝明天皇なんかそれでやられちゃう(笑)。

 

 

     そこで、あまり頭のいい人が出てこないように 

    「学問は技芸に限る」(笑)。

 

 

    つまり、天皇をタレントにしてしまうわけです。

 

 

    つぎに京都所司代という監視機関をつくる。これはシステムですね。

 

 

フィールズ 上に立つひとはあんまり学問がなくてもいい。

 

 

        官僚がしっかりと取り仕切ればいいんです。

 

 

        大臣なんかモノを知らなくても、官僚がやればいい。

 

 

        だから天保の改革を行った水野忠邦みたいに学問をし過ぎて

        もいけない(笑)。

 

 

 

 

 

                        7月24日 奈良市内にて撮影