「お経が作られた順番」富永仲基  | 人差し指のブログ

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「 歴史が遺してくれた日本人の誇り 」

谷沢永一 (たにざわ えいいち 1929~2011)

株式会社青春出版社 2002年6月発行・より

 

 

 

 

 歴史書というものがじつは ほとんど創作であることを見抜いたのは、

山片蟠桃だけではない。

 

 

もっとはっきり知り尽くしていたのは、富永仲基(とみながなかもと)である。

 

 

富永仲基は江戸時代の大坂に現れた町人の学者で、三十二歳にして亡くなっているが、世界一の天才である。

 

 

 

 富永仲基は仏典を分析し、何が本当か見分けようとした。

 

 

その中から生まれてきたのが、「加上の原則」 と呼ばれるものだ。

 

 

仏説経文(きょうもん)だって最初はじつはプリミティブなものであって、しだいに難しくなっていくという考え方である。

 

 

その難しくなったものを読むから、物事がわかりにくくなるのである。

 

 

 

 富永仲基の分析の対象となった仏典というのは、おびただしい量である。

 

 

お経を支那訳した 『大正新脩大蔵経』 は、一冊だけでも分厚く、それが全部で100巻あるのだ。

 

 

世界中の宗教で一番多く経典を持っているのは、仏教なのである。

 

 

富永仲基はそのお経を全部読んだわけではないが、お経にはできた順番があることに勘づいた。

 

 

 

 だいたい釈迦(しゃか)が、生きている間にそんな100巻ものお経を書けるはずがない。

 

 

釈迦の死後、100年以上経ってからやっと、皆が釈迦の言葉を集めようとし始めている。

 

 

その集めた言葉がお経となるのだが、仏教が広がっていくうちに、新たにお経に書き足しをする者が出てくる。

 

 

いまで言えば文学青年のような者が、つぎつぎと新たなお経に言葉を入れていく。

 

 

仏典とは、何十何百という無名の人間が後から後からと書き足していった本としか考えられないと、富永仲基は思ったのである。

 

 

 

 富永仲基はそのことを勘によって考えたのだが、じつにピタリと当っている。

 

 

何にしろ最初のものが一番単純だ。

それが時代を経るにしたがって、だんだん複雑になっていく。

 

 

後からつくる人は、なぜ わざわざ新しくつくるのか論じなければ沽券に 関わるからどうしても以前につくられたものよりも複雑なものをつくってしまう。

 

 

 仏教の場合、一番最初に生まれたのは小乗仏教である。

そのあとに大乗仏教ができて、法華経が一番新しい。

 

 

だから、法華経が一番複雑ということになる。

これが加上の原則なのである。

 

(略)

 

 ただ、富永仲基は彼の生きた時代には評価してもらえなかった。

 

 

というのも、富永仲基がお経を分析の対象としたからだ。

 

 

お経に対して分析するというのは無礼であると、日本中の僧侶らが怒ったのである。

 

 

分析をしないのは支那人も同じで、彼らは四書五経を絶対に いじらない。

 

 

日本の江戸時代の仏教も、お経の分析をしようとしなかったのである。

 

 

おまけに、お経も初めのころは簡単なものであったと、富永仲基は言っている。

 

 

僧侶にとって、お経は初めから立派なものでなければならず、これまた怒りを大きくすることになった。

 

 

富永仲基をやっつける本が出され、富永仲基の著作をまともな学者が評価するようにはならなかったのである。

 

 

 

 こうして富永仲基は一度忘れ去られたが、明治二〇年ごろ、再評価されるようになる。

 

 

明治から昭和初年にかけての碩学である内藤湖南(こなん)が古本屋で富永仲基の本を見つけ出して、「これは凄い」 となった。

 

 

内藤湖南は富永仲基をずっとほめそやし、世に広めるため苦労した。

 

(略)

 

 富永仲基の考えをより深く知りたかったら、内藤湖南の講演記録を読むといいだろう。

 

 

内藤湖南は凄い学者だったが、原稿を書くのがしんどいという不精者であった。

 

 

その彼が講演を引き受けるときには条件があり、有能な速記者をつけろというものだった。

 

 

内藤湖南は速記になったものを、論文の代わりにしていたのである。

 

 

その内藤湖南の講演は、いま筑摩叢書から出ている。

 

 

この『先哲の学問』(昭和21年初刊)の中に 「大阪の町人学者富永仲基」 という講演記録があり、私も若いころ これを読んで勉強したものである。

 

 

これと 『日本文化史研究』(上・下、講談社学術文庫)は明治以降最高の名著である。

 

 

しかも講演記録であるからとてもわかりやすい。

 

 

百巻の書を読むよりこれらのほうが人間を賢くしてくれる。

 

 

 

                                         

 

 

 

2018年9月19日に 「江戸の知識人は僧侶が嫌い」 と題してドナルド・キーンの文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12404639356.html?frm=theme

 

 

 

 

13日に奈良公園の猿沢池で行われた采女(うめね)祭の紹介の続きです。これは管絃舟というらしい、夜にはミス何とかや花扇使(これはよくわからない)という女性たちが古(いにしえ)の衣装を着て舟に乗り池をめぐりますが松明だけの灯りなので私のコンパクトデジカメではよく写りませんでした。

               見物客と見物鹿・・・奈良公園ですから。

いつもとは違う人出なので鹿はとまどっています。