「 砂の曼荼羅 」
吉田直哉 (よしだ なおや 1931~2008)
株式会社 文藝春秋 1989年10月発行・より
同じような思いを、オランダのシンボルである風車を眺めているときに味わったことがある。
アムステルダムに もう十八年も住んでいる、オランダ通の宝石鑑定士、後藤猛さんが、
「止まっている風車の羽の位置はてんでんばらばらに みえますが、
決してそうではなくて、あの止まりかたが大事なシグナルになっているの
ですよ」
と教えてくれた。
つまり四枚ある羽根の一枚が、時計の 12を指しているか、1を指しているか、それとも 2を指しているかで、この風車がちょっと休憩中なのか、しばらく休止なのか、当分営業しないつもりなのか、がわかるのだそうだ。
それどころではなく、この羽根の位置は読みとることが できる人にだけ、さまざまな暗号を発しているのだそうで、それがいちばん効力を発揮したのは先の大戦のときだったという。
地平線の彼方に霞んでみえる風車から目の前のまで、すべての風車が連係してナチスドイツ軍の動静を伝える複雑な暗号を送りつづけたのだ。
実は大変な暗号が伝えられていたその風景は、いま写真で眺めても何の変哲もない牧歌的風景そのもの、いや写真だから風車が動いているのか止まっているのかさえわからないので、暗号の伝えかたとしてはきわめて高度なものだと言えるのだろう。
ナチ首脳部も、軍の動静の洩れかたが どうしてもわからず躍起になっていたのだそうで、風車がその伝達手段だったということが世間に知れたのは、ごく最近のことなのだという。
フランスのレジスタンスが極秘情報をヴェルレーヌの詩の、たとえば 「秋の日のヴィオロンの溜息の・・・・」 の朗読でラジオで伝えた、というような伝説は ドラマチックだが、どうもできすぎて いるように思えわれる。
それに比べると、運河にそって整然と並んだ風車が、黙って緊密な連携プレーのもとに極秘情報を伝えていた、という事実のほうが ずっとリアルで感動的なような気がするのだが、どうだろう。
でも、なにより印象的だったのは後藤さんからこの話をきいたことによって、眼前の風車の連なった風景がみるみる相貌を異にしていったことだった。
なにも知らなければ、そのまま絵葉書になる牧歌的な風景だったのだ。
(略)
第二次大戦中、オランダの風車がナチの軍隊の動静を暗号でリレーしていたことが最近わかった、という話を前回書いたが、風車はむかしから、
地元の人びとだけにわかる信号を伝える道具なのであった。
税吏がやってくることを村人に伝えたし、人の死も伝えた。
たとえば風車番人本人が死ぬと、風車の腕木についている二十枚の板が外され、しばらくのあいだ持ち主の喪に服すかのように全く動かない。
番人の妻の場合は十九枚、子どもの場合は十三枚、親の場合は十一枚が外される。
いとこの子だと一枚だそうだが、こんなコードさえ知っていれば、村のいくつもの風車で、訃報はもちろんすべてのニュースを知ることができる仕組みだった。
だった、というのは全盛期ヨーロッパの全土で十万もまわっていた風車が、いまはぜんぶで三千ぐらいしか残っていないからである。
2018年6月15日に 「暗号解読の簡単な方法」 と題して阿川弘之と
深田祐介の対談を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12379931861.html
8月18日奈良公園の猿沢池にて撮影