汽車の窓からゴミを捨てる   | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

「 半身棺桶 」

山田風太郎 (やまだ ふうたろう 大正11年~平成13年)

株式会社徳間書店 1991年10月発行・より

 

 

 

 昔と今とは万事変っているのはあたりまえのことで、それにいまさらのように いちいち感心するのもシマらない話だが、それでも昔の本を読んでいて、あらためて 「ホホー・・・」 と感慨に打たれることがある。

 

 

 

 たとえば漱石の 『三四郎』 だが、三四郎が上京する汽車の中で弁当を食う。

 

 

そして、「三四郎は空(から)になった弁当の折(おり)を力一杯に窓から放り出した」 と、ある。

 

 

 その折のふたが、ちょうど窓から首を出した女の顔にぶつかって三四郎はあやまるのだが、名古屋で途中下車して翌日また東京への汽車にのった三四郎は、こんどは広田先生と相乗りになって会話をかわし出す。

 

 

 この先生は、プラットフォームを歩く西洋人夫婦を見て、「どうも西洋人は美しいですね」 「お互(たが)いは憐れだなあ」 と、つぶやき、「然し是(これ)からは日本も段々発展するでしょう」 という三四郎に、「亡(ほろ)びるね」 と澄ましていうほど ひらけた人物だが この先生が当然事のごとく、「散々食い散らした水蜜桃の核子(たね)やら皮やらを、一纏(ひとまと)めに新聞に包(くる)んで、窓の外へ抛(な)げ出した」 と、ある。

 

 

 どうも明治時代は、汽車の中で食ったものの残物を、みんな窓から放り出したらしい。

 

 

いったい沿線はどうなっていたことやら。

 

 

 

 

                       7月6日   奈良市内にて撮影