日本の古典文学と女性の地位   | 人差し指のブログ

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「 日本史再検討 」

井沢元彦 (いざわ もとひこ 1954~)

株式会社世界文化社 1995年3月発行・より

 

 

第四章 古代史の舞台裏に垣間見える女性の姿 小松左京(1931~2011)

 

 

 

 

 

井沢 ところで小松さんが最初に指摘された、日本の朝廷が文化事業とし

    て正史とともに歌集を編纂したのはなぜなんでしょう。

 

 

    東アジアは漢文の文化圏で、現に朝鮮半島では文芸は漢文です

    し、日本が独自の文芸を残すことに こだわったというのは・・・・。

 

 

小松 女性の地位と関係があると思っているんです。

 

 

    日本は儒教国家ではなかったというのが、僕の考え方なんです。

 

 

    奈良時代、平安初期の律令(りつりょう)国家時代に儒教は少し入って

    いますが、戦後民主主義のようにお題目が少し上に乗っかっている

    だけで、中の仕掛けは古いものがそのまま残っている。

 

    その仕掛けというのが女性の地位です。

 

 

井沢 歌集といえば現存最古の 『万葉集』 をまず思い浮かべるんです

    が、天皇から防人(さきもり)の歌までが収められたような歌集は、西洋

    にはあるんですか。

 

 

小松 ギリシャ・ローマ時代から、ホメロスの 『オデッセイ』 や、不思議な

    神話伝説を系統的に集めた オウィディウスの 『メタモルフォセ

    ス』 の叙情詩などは、名目上個人の著作ですし、政権の名のもと

    に多くの人の歌を集めた歌集というものは、やはり日本固有のもの

    でしょうね。

 

 

井沢 日本文化を象徴するものともいえる・・・・。

 

 

小松 ですから、外国に行って日本固有の文化というものを説明するとき

    には、日本には 『万葉集』 というロイヤルコードで まとめられた

    歌集がある、というんです。

 

 

    渡部昇一さんの指摘で、わたしが深い感動を受けたのは、「日本に

    は神の前での平等の観念はないが、歌の前での平等の概念が太

    古からある」 という言葉です。

 

    文化史上の大ヒットともいうべき指摘ですね。

 

 

    『万葉集』 で、一番最初に出てくる歌は、「籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 

    ぶくしもよ~」 で始まる雄略(ゆうりゃく)天皇の歌ですね。

 

 

    その歌では雄略天皇が、若菜を摘んでいる娘に語りかけながら自

    分の名をいわないんだよね。

 

 

    その歌を現代語訳すると、「そこで若菜を摘んでいる娘さん、僕の名

    前を知ってるかい、知らないだろうね」 といったようになる。

 

 

    一方、バビロン、アッシリアなどの記録をみると、王が自分の名前を

    真っ先に挙げ、どれだけ侵略、征服をし、敵の首級を挙げたかが誇

    らしげに書かれている。

 

 

井沢 自慢話風になっているわけですね。

 

 

    それに対して 『万葉集』 には女性に対する配慮というか奥床しさ

    がある (笑)。

 

 

小松 その対照的な事実と 『万葉集』 に女性の歌が多いということが

    ヒントになって 『古事記』 と 『日本書紀』 の比較をしたことがある

    んです。

 

 

井沢 その比較で判明したのは どのような点ですか。

 

 

小松 やはり 『古事記』 の話者に女性の存在が見えるんです。

 

 

    仁徳(にんとく)天皇に関する記述部分などは特にわかりやすいんです

    が。

 

 

    『日本書紀』 のほうはわりに天皇の政治的事跡が出てくるんです

    が、『古事記』 では、天皇が皇后に嫉妬を焼かれ逃げ回っているよ

    うな話ばかりです。

 

 

    平野謙さんの 『女房文学論』 を読んでいたので、双方の 「帝

    紀」 の内容を比較しているうち、おかしいなと思って、古事記に

    出てくる性的な言葉をカウントしてみたんです。

 

 

    古事記は大体四〇〇字詰め原稿用紙で一四〇枚ほどのものです

    が、そこに三五もの性的言葉が出てきて、しかもほとんどが 「ほ

    と」、「みほと」 といった女性性器を表す言葉なんです。

 

 

    これに対して 『日本書紀』 には ほとんどない。

 

 

    それで稗田阿礼(ひえだのあれ)は、男性説と女性説があったんだけれ

    ど、どうも女性だったんではないかと思うようになったんです。

 

 

井沢 そういえば、宮廷の祭儀に仕えた巫女(みこ)だったのではないかとい

    うような説もありましたね。

 

 

小松 ちょうどその頃、文化人類学のほうで、アウストロネシアの南島文化

    圏で両系制の問題がはっきりしてきたんです。

 

 

オーストロネシア語族台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。アウストロネシア語族とも。日本語では南島語族とも訳される。~Wikipediaより

 

 

 

    男と女の役割は違うが、女性は女性で非常に高い社会的地位を保

    っていたということなんです。

 

 

    それで女は女言葉をおばあちゃんから母親に、そして娘へと伝えて

    いることがわかった。

 

 

    純粋な女言葉で話すと、男にはわからないそうなんだけど、『古事

    記』 は古代史の女性側に伝えられた伝承だったんではないかと考

    えたわけです。

 

 

    女言葉の伝承は明治時代まで八丈島にもあったらしいんですがね。

 

 

井沢 古代日本も同じように女言葉があったというわけですね。

 

 

    それで 『日本書紀』 は男の手になる漢文の行政文書になって、

    『古事記』 は女性に語り継がれた 「家の伝え」 が、まとめられた

    と。

 

 

小松 『古事記』 ができる前後の大和・奈良時代は推古(すいこ)から始まっ

    て七代くらいの女帝が出ていますよね。

 

 

井沢 推古(すいこ)、持統(じとう)やら力のある女帝が存在したとなると、女性

    に伝承されてきた歴史をまとめ得る土壌はありますね。

 

 

 

 

 

                        5月21日の奈良公園・猿沢池