シナの朝貢と沖縄        | 人差し指のブログ

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「 誰も知らなかった皇帝たちの中国 」

岡田英弘 (おかだ・ひでひろ 1931~2017)

ワック株式会社 2006年10月発行・より

 

 

 

 

 皇帝制度を維持するために重要な意味を持っていたのが 「朝礼」 だった。

 

 

朝礼は本来は満月の夜の明け方、すなわち陰暦の毎月十六日の早朝に行われた。

 

 

満月の夜に地方から都市へと商人たちが集まってきた。

市場の門が開く前の夜明けに、朝礼が行われたのだった。

 

 

 

 群臣は、夜明け前のまだ暗いうちに、宮城(きゅうじょう)の中の 「朝廷に集まる。

 

 

朝廷とは、文字通り 「朝礼」 の行われる 「庭」 である。

 

(略)

 

 朝礼では、群臣に混じって外国の使節も参列した。

外国の使節の手みやげは 「貢(こう)」 という。

 

 

「貢」 とは 「共」 「拱」 と同じで、「両手で捧げる」 という意味である。

 

 

貢物の品々は殿上から朝廷におりる階段の下に並べられ、使節は目録だけをもって殿上にあがり、皇帝に奉呈した。

 

 

そこで皇帝は外国の使節にねぎらいの言葉をかけた。

 

 

 こうした手みやげをもって朝礼に参加することが 「朝貢(ちょうこう)」 である。

 

 

朝貢は、皇帝に対する友好の意思の表現である。

 

 

朝貢を行う者は外国人とは限らない。

 

 

首都に住まず、直接 皇帝の支配下にない者が、手みやげを持って上京して皇帝のご機嫌伺いをするのも朝貢であった。

 

 

歴代の皇帝は朝貢を歓迎し、朝貢使節の受け入れに熱心だったが、これは遠方の人々の代表が自分を本当の皇帝と認めていることを群臣に見せつけ、天下に向って宣伝するのに有効だったためである。

 

 

 朝貢使節が持参する手みやげは、高価なものである必要はない。

干したヒラメなど、それぞれ自分の地方の特産品で珍しいものなら何でもよかった。

 

 

 外国の君主にとってみれば、皇帝に朝貢したからといって皇帝の臣下になったわけではなかった。

 

 

まして中国の支配権を受け入れたわけでもなかった。

 

 

朝貢は国家と国家の間の関係ではなく、個人としての君主が個人としての皇帝に対する友好の表明であり、皇帝が朝貢を受け入れるのは同盟関係の承認にすぎなかった。

 

 

 現代の中国はそこを曲解し、「外国の朝貢は中国への臣属の表現」 と解釈している。

 

 

そのため、歴代の琉球(りゅうきゅう)国王が清朝の皇帝に朝貢を行っていた沖縄は中国の領土だったということになり、日本が沖縄を1872年(明治5年)に領有したのは中国に対する侵略だと主張している。

 

 

これは国民国家以前の歴史に現代の国際関係の観念をあてはめた こじつけにすぎない。

 

 

しかも十九世紀の当時には、中国は満州人の清朝の植民地であって、中国という国家はまだ存在しなかったから、沖縄が中国領だったというのは真っ赤な嘘である。

 

 

 

 

 

子鹿は観光客に人気です。10月30日 奈良・東大寺にて撮影