勉強はダメだった松下幸之助 | 人差し指のブログ

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 「 剣談女談 (けんだんじょだん) 神坂次郎対談集 」

神坂次郎 (こうさか・じろう 1927~)

PHP研究所 1996年3月発行・より

 

 

「天馬の歌」が聞こえるか   渡部昇一(わたなべ・しょういち 1930~2017)

 

 

 

 

 

神坂 それから、松下幸之助翁の伝記では雄小学校の卒業を前にして

    退学したと書いておりますが、この船場で夜学に通っているんです。

 

 

渡部 それは重要なことですね。

 

 

神坂 大阪には小学生のための夜学があって、そこに通わせてもらってい

    る。

 

 

渡部 実業学校の夜間に通っていたのは、もっと後の電気会社に入って

    からですよね。

 

 

    その前に小学校もいっていたんですか。

 

 

神坂 そうです。電気会社に入ってからの夜学については、幸之助は授業

    に追いつけなかった、しゃべっていることがわからなかった、

    と書いておりますね。

 

 

渡部 勉強のほうは抜群に得意ということは絶対なかった。(笑)

 

 

神坂 中の下ぐらいだった。いくら褒めてもそれぐらいだったと思います

    (笑)

 

    意欲はあったんでしょうけど、あまり好きじゃなかったようですね。

 

 

    自分の仲間ですごくできる男がいて、その男のおかげで僕は学校に

    いく気になった、といっています。

 

 

    でも、その秀才は結局、名も残っていませんが。

 

 

渡部 学校の勉強というのは虚しいという、いい教訓です。

 

 

    難しい学校をスーッといった人が中年になってどうも、うだつが上が

    らない。

 

 

    あいつは成績はよくなかったのにうまくやっている。

 

 

    そうすると、学校での成績がよくてうだつが上がらない奴は、世の中

    が悪いと思ってしまう。

 

 

    でも、そんなことはないんですよ。

 

 

    私は昼間にいってたんだけれども、夜間でやった人がいちばん偉く

    なった。

 

 

    渡部と同郷の藤沢周平も夜学ですね。

 

    (略)

 

神坂 さらに、一つの会社だけを大きくしないで小さな会社をいくつも競合

    させ、みんなに責任を持たせて、自分は複眼で見ている。

 

 

渡部 事業部門制というのは、外国が導入するずっと以前に、誰からも学

    ばずに始めたのでしょう。

 

 

    やはり、なまじっか学校にいくのはよくないことかもしれませんね。

 

 

神坂 学校にいかなければ学問というバケモノの鋳型にはまりませんし

    ね。

 

 

 

                          12月5日 奈良公園にて撮影

                         奈良公園の水谷(みずや)茶屋