赤穂浪士討入り前の心得十三ヵ条 | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

「 忠臣蔵と日本の仇討ち 」

池波正太郎(いけなみ・しょうたろう)

中央公論新社 1999年3月発行・より

 

討入りの日   元禄十五年極月十五日払暁    野呂邦暢(のろ くにのぶ)

 

 

 

 討入り前に達せられた 「人々心得之覚書」 は十三条である。

 

 

一、日がきまったら、かねて定めの通り、前日の夜中より定めの三所へ

   物静かに集まること。

 

 

一、当日は、あらかじめ決定した刻限に出発すべきこと。

 

 

一、敵の首級をあげたなら、ひきあげの場所へ持参するべく敵の死体の

  上着を剥ぎ、包んで持って行く。  

 

  上使に出会ったら 

  「これは泉岳寺へ持って行くつもりであるが、お許しがなければ致し方

  がない。かといって御歴々の首ゆえ捨ててゆくわけにもゆかない。

  先方へお返しくださるか、いかようともお指図次第に致します」 

 

  と挨拶し、役人に反抗してはならない。

 

  勝手を役人に許されたら泉岳寺へ持参し、 お墓にそなえること。

 

 

一、子息の首級は持参には及ばない。 討捨てる覚悟であること。

 

 

一、味方の負傷者はできるだけ力を尽くして助けだすべきであるが、肩に

   かけても運び出せない重傷者は介錯してひきあげること。

 

 

一、父子を討取ったら合図の小笛を吹き、だんだん吹き継いで皆にしらせ

   ること。

 

 

一、ひきあげの合図は銅鑼を鳴らすこと。

 

 

一、ひきあげ口は裏門であること。

 

 

一、ひきあげ場は無縁寺(回向院)にするが、寺内に入ることを許されない

   場合は両国橋の東の橋ぎわにある広場に集まること。

 

 

一、ひきあげる途中、近所の屋敷から人が出て押しとどめたら、事情を告

   げ、

   「自分たちは逃げ隠れする者ではない。無縁寺へひきあげて公儀の

   御検分使を請い、委細を申し上げるつもりである。しかし、疑われるな

   ら寺までついて来ていただきたい。一人も逃げる者はない」 

   と挨拶すること。

 

 

一、追手がかかったら、全員ふみとどまって戦うこと。

 

 

一、まだ敵の首級をあげる前に御検使が見えたら、門をしめ一人だけ脇門

   から出て挨拶する。

 

 

   そのときはもう敵は討ったといい、生き残りの人数をまとめたうえで、

   御下知にしたがう旨を申し出ること。

 

 

   門内に入って検分したいと相手がいっても決して門をあけないで、

   「討入った者が屋敷中に散らばっているから、混雑の際いかなる無礼

   がないともかぎらない。しかし、追っつけ開門します」 

   といって引きのばすこと。

 

 

一、以上はひきあげの心得であるが、討入りの覚悟は必死でなければな

   らぬ。

 

   それゆえ、ひきあげるときの工夫ばかり考えていて、討入りのときこ

   れにわずらわされてはならない。

 

   ひきあげたところで生命はおぼつかない我々である。

   討入りの覚悟は必死を分として十分な働きをすること。

 

 

                                          

 

 

吉良邸では前夜は忘年会があったので皆が酒に酔っていて まともな反撃ができなかったそうです。2017年12月19日に 『 「赤穂浪士の討入り」と 「吉良邸の前日の忘年会」 』 と題して園田英弘の文章を紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12336496856.html?frm=theme

 

 

 

 

                   奈良・春日大社の杜 6月10日撮影