欧米の昔の黒人差別   | 人差し指のブログ

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「 我等なぜキリスト教徒となりし乎(か) 」

安岡章太郎 (やすおか・しょうたろう) / 井上洋治 (いのうえ・ようじ)

株式会社光文社 1999年1月発行・より

 

 

 

 

[ 安岡章太郎 ]     ところで、差別という問題ですが、じつはこれに僕

               は興味を持っていて、おもしろくてしようがないの

               です。

 

 

僕自身にもそれはたしかにあります。

建て前とは別に誰でも差別意識は何ほどかは持っているのではないか。

 

 

 アメリカは昔から自由と平等が国是(こくぜ)ということになっているけれど、差別が厳然と露骨にある国です。

 

 

先のアメリカ南部の話を続けると、白人が、神というものには 

「黒人の神様」 と 「白人の神様」 の二人いるんだと、真面目に言う。

 

しかもそれを黒人に言わせる。

 

 

「なあ、お前、ジョー、神様は二人いるな」

 

「はい、そうでごぜえます」

 

 

 僕が目撃していた時、ごぜえます、と答えさせられていたのは高等学校の黒人校長でした。

 

 

その黒人校長の後ろにケネディの肖像画が貼ってあったのが、何とも印象的で、もう忘れがたい光景でした。

 

 

 

 

 遠藤(周作)が言ってました。

 

フランスでも、レストランで料理を待っていると、白人が

「おい、お前はジャポネか、クリスチャンか」  と訊いてくる。

 

 

そして、「そうか、改宗者だな。よく改宗した」 なんて言う。

さらにこう続けたそうです。

 

 

「でも、お前はいいよ。手の甲とひらがおなじ色だからね、いいんだ。野蛮といっても程度がいい。あそこにいる黒人は、こっちがピンクでこっちが黒い」

 

 

 

 アメリカのキリスト教徒にも平等が正義だという感覚はたしかにある。

 

 

大変あるけれど、黒人や黄色のアジア人と平等というのはお断りだ。

 

 

日本人と白人は平等であるのが正しいと考えるが、しかし平等とは思ってはいないわけです。

 

 

これは信仰心の厚い薄いという問題ではないと思う。

 

 

信仰心がとても厚いのに、そうした差別意識の強い人を見ていると、信仰ということの中には、ある種の差別意識に類するものを含んでいるのではないかと思います。

 

 

                                        

 

 

2018年11月2日に 『ノーベル賞と「白人による差別」』 と題して高山正之の文章を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12413891599.html?frm=theme

 

 

 

白人はなぜ自分たちの優越性を誇示するのかということについて2018年11月3日に 『アフリカを追われた「白人の恨み」』 と題して三浦雅士と

岸田秀の対談を紹介しました。コチラです。↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12411559820.html

 

 

 

 

 

 

                     奈良公園の飛火野 6月16日撮影