「異説・異学」に寛容な日本   | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

「 サライ・インタビュー集 【藍の巻】 上手な老い方 」

編者/サライ編集部

株式会社 小学館 1997年6月発行より

 

 

「人間を知りたければ世界最高の古典イソップをお読みなさい・谷沢永一」

 

 

 

 

           ところで、先生は 「日本は思想闘争の成立しない国」 

           と発言されてますね。

 

 

 

「日本は昔から、何事も代表的な意見をひとつに絞り込んでいくよりも、逆に拡散的といいますか、異説を異説として伝えていっている。

 

『日本書紀』 は、対外的にもきちんとした意図を持って編纂された、公の文書ですわ。

 

ところがその中にさえ、あるひとつの事柄についての、違ういい伝えについて、”一書(あるふみ)にいわく”としてつけ加えている。

 

これは他の国には類例のないことで、わが国だけの特徴です。

 

本来、国の公の文書、まして対外的に自国を示す文書となれば、異説を削って、選りすぐった一番いい部分だけを並べるものなんです。

 

それをしないのは”異説尊重主義”といっていいでしょうね。」

 

 

 

                いってみれば、ファジー  ・・・・・・

 

 

「時代が下がっても、そうです。『源氏物語』 を見ても、河内本、青表紙本、いくつもある。

 

しかもそれだけある異説を異本として後世に伝えていく。

 

そこには、いろいろないい伝えや意見がある以上、それを尊重して、みだりに改訂や排除をしないで伝えていこうとする、非常に謙虚な態度があるんです」

 

 

                外国の場合ですと?

 

 

「キリスト教文化は、その発祥の直後からして”正統と異端”という思想戦争がついて回る。

 

チャイナの場合は、『論語』 の注釈にしても、漢の時代に定本だったものが、次に新しい注釈が書かれ、そちらが尊重されると、かつては定本だったものが、あの広い国土からすっかり姿を消してしまう。

すごい統制ですわ。

 

ところが、日本では、自分は個人の見解としてこの説を採る、という態度決定はするけれども、違う説をねじ伏せることはしないし、散逸させるようなこともなかったわけです」

 

 

               寛容な国民なんでしょうか。

 

 

「近世になって、”寛政異学の禁”といって、松平定信が寛政の改革の一端として、朱子学の保護のために異学を禁じた時期があります。

 

が、あれも逆にいうと、異学が成立していたからこそ、禁じる必要があったわけですね。

 

しかも、その禁もすぐに解けてしまう。

 

例外的に太平洋戦争中の思想弾圧がありますが、これも長い日本の歴史から見れば、まさに例外的なことなんですね」

 

 

 

 

                      昨年12月24日 奈良公園にて撮影