インディアンはなぜ負けたのか?  | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

「 アメリカの正義病・イスラムの原理病        一神教の病理を読み解く

岸田秀(きしだ・しゅう) / 小滝透(こたき・とおる)

株式会社春秋社 2002年3月発行・より

 

 

 

 

岸田   西欧が世界中にあちこちで植民地化というか、侵略に成功した

       のは、やはりいち早く国民国家というものを作ったということが

       大きいですね。

 

 

小滝   そうですね。

       だいたい中世イスラム世界は、支配構造が三つの制度に

       なっていたんです。

 

 

       政治支配はスルターンというイスラム統治者をトップにしてやっ

       ていた。

 

 

       伝統イスラムの社会規範は、ウラマーというイスラム律法学者

       がコントロールしていた。

 

 

       精神的にはタリーカというイスラム神秘主義教団が、実存的な

       人々の信仰を勝ち得ていた。

 

 

       しかしスルターンとウラマーは西欧の侵略に対して役に立たな

       かったわけです。

 

 

       タリーカがいちばん抵抗します。

 

       レジスタンスみたいなことをやるわけで、その中心にタリーカが

       いたわけです。

 

 

       タリーカは自分の教団内では、シャイフと呼ばれる教団長が末

       端部分まで権威を持ってコントロールできていたんです。

 

 

       わりあいきちっとした組織を持っていた。

 

 

       だから強力な抵抗はできるのですが、しかし、タリーカ外の

       人民にはコントロールが及ばない。

 

 

       これに対してヨーロッパの国民国家は、人民全てを動員できる

       強力な常備軍がある。これでは勝負にならない。

 

 

岸田   組織力の問題ですね。団結しないので各個撃破されるわけで

       すね。

 

       あっちをつぶされ、こっちをつぶされ・・・

 

 

小滝   国民国家では、近代法と官僚の一元支配によって動員してく

       る。けれどもタリーカは、神秘主義教団という名前のとおり神秘

       主義的なところがあった、教団内の人間は動員できても、それ

       以外の人間には通じない。

 

 

岸田   インドだって、インドとしてのインドという国民意識というか、

       国家意識なんか全然なかったわけですね。

 

 

       地方地方に藩王国の藩主というか、封建領主みたいなのがい

       て、イギリスがある地方の領主をつぶしても、他の領主は黙っ

       て見ているだけでしたね。

 

 

       それで、数万のイギリス人が何億かのインド人を征服し、支配

       することができたのです。

 

 

        アメリカのインディアンだって、彼らの土地ですから最初の頃

       は、インディアンが圧倒的に多く、地理に詳しく土地勘もあった

       わけですけれど、それでもやってきた少数の白人移民に負けた

       のは、白人が鉄砲をもっていたというような単なる武器の問題

       ではなくて、あるインディアン部族がやられているときに、別の

       部族は全然助けないし、かえって白人に協力したりするんです

       ね。

 

 

       昔から部族と部族の対立があって、その対立のほうが、強く記

       憶にあるわけで、白人がある部隊を攻めていると、いいチャン

       スだと、別の部族が協力したりする。

 

 

       白人に協力しているときに、今度は自分たちがやられるとは思

       わない。

 

 

       それで虱潰(しらみつぶ)しにやられていくわけですね。

 

 

       もちろん、白人のもたらす致命的な危険を認識したインディアン

       も一部にはいたのですが、そういうインディアンが必死に戦って

       も、その認識のないインディアンが白人に簡単に言いくるめら

       れて裏切るのです。

 

 

        例えば、キング・フィリップと白人に呼ばれていたインディアン

       は、聡明で戦術に長け、人望もあるリーダーだったようで、彼

       は、1675年、あまりにも一方的で酷い白人のやり口に腹を立

       てて反乱を起し、沼地や森を根拠地にして神出鬼没のゲリラ戦

       を展開し、ニュー・イングランドの白人居住地の半数以上を破

       壊し、一時は白人を大西洋の海に追い落としかねない勢いでし

       た。

 

 

       彼の部隊は奇襲してきて、サッとどこかに消えてしまうので、白

       人は手も足も出ないのでした。

 

 

       しかし、白人は、地勢に明るいインディアンから、彼に従う敵対

       的インディアンの逃げ込む隠れ地を聞き出し、次々と殲滅して

       ゆきました。

 

 

       そして、ついに彼も戦死して、一年間続いた反乱は終わりまし

       た(藤永茂『アメリカ・インディアン悲史』)。

 

 

        インディアンの大多数が、白人はインディアン全体の敵なん

       だと悟り、団結の必要を知ったときは、すでに遅すぎたのです。

 

 

 

                                                             

 

 

 

2017年4月18日に 「白人の入植とインディアン」 と題して渡部昇一の文章を紹介しました。コチラです。 

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12232356132.html

 

 

 

2017年4月16日に 「インディアン戦争と日米戦争」 と題して日下公人と高山正之の対談を紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12256882458.html

 

 

 

2016年3月7日に 「侵略国家アメリカ」 と題して鈴木孝夫の文章を紹介しました。コチラです。  ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12135529269.html

 

 

 

 

                      昨年12月24日 奈良公園にて撮影