『 中国人韓国人にはなぜ 「心」 がないのか 』
加瀬英明 (かせ ひであき 1936~)
KKベストセラーズ 2014年5月発行・より
私がはじめて訪韓したのは、一九六五(昭和四十)年に、日韓両国が国交を開いた前年だった。
ソウルにいた日本人は、商社、新聞、テレビ特派員など含め、百人もいなかった。
新潟日報などの地方紙から、韓国について、連載を書くことを依頼され、時事通信社の特派員の肩書を貰って、韓国に入国した。
ソウルは貧しかった。毎日、餓死者が絶えなかった。
アメリカ軍基地の残飯を貰ってきて、食堂で部隊(ブテ)チゲと呼ばれて、定番のメニュウとなっていた。
それでも、土間の一杯飲み屋(ポジャンマチャ)に入って、日本人だと分かると、日本人が珍しかったから、居合わせた客が、懐かしがって、日本語で争うように話しかけて、マッコリ(白く濁ったドブロク)を、奢ってくれた。
韓国では、戒厳令が施かれていて、午前零時以後の外出が、禁止されていた。
カメラマンのR氏によって、郊外の家に夜に招かれ、帰りに表通りまで送ってくれたが、タクシーがもう来なかったので、都心に向うバスに乗った。
R氏が、女史車掌の 「日本人だから」 といって、ホテルの名を告げて、近くで降ろすように頼んだ。
バスは、ほぼ、満員だった。私が日本人だと分かると、つぎつぎと握手を求められた。
一人が、日本の童謡を口ずさんだところ、都心に近づくうちに、十二,三人が、日本の歌を合唱してくれた。
その後、韓国に仕事で、足繁く通った。
首相から、閣僚や、新聞社のオーナー、大学総長、ジャーナリストなど、多くの親しい友人を持った。
韓国を訪れるたびに、温かく歓迎してくれた。
今日、反日を国是とする国家になってしまっているが、当時の韓国を知る者にとって、信じられないことだ。
もし、韓国民が日本統治を、深く恨んでいるとするならば、日本統治時代が遠のいて、記憶が薄れるにつれて、今日のように反日感情が強まることは、ありえないはずだ。
私だけでなく、あのころの韓国を知っている人々なら、狐につままれたような思いに、とらわれるはずだ。
人差し指~これは確か鈴置高史が書いた本にもありましたが、 韓国のアンケートでも 「昔は今より反日が少なかった」 そうです。
朝霞(埼玉)市内 10月26日撮影