「 内と外からの夏目漱石 」
平川祐弘(ひらかわ すけひろ 1931~)
株式会社河出書房新社 2012年7月発行・より
漱石は明治末年には談話 『西洋にはない』 では俳諧の趣味は 「日本独特」 と言っている。
しかし明治三十七年一月の談話 『俳句と外国文学』 では、日本と西洋の詩歌の上の趣味の相違にふれるとともに 「亦た明かに共有点と云ふものもある」 と述べていることは注目に値する。
(略)
漱石は明治三十四年二月二十三日、ロンドンで自己主張の強い西洋人の世界の中でひとり小さくなって暮らしていた時に、おそらくワーズワースのLucy の菫(スミレ)に接して嬉(うれ)しかったのであろう、高浜虚子に宛てた葉書にこう書き添えた。
或詩人の作を読で非常に嬉しかりし時。
見付けたる菫の花や夕明かり
(略)
漱石には従来の日本の俳人とは趣を異にする。
菫程小さき人に生まれたし
という西洋詩風の発想の句がすでに明治三十年にあったが、そのような句中の菫とワーズワース詩中の violet の共有点の大きさに私たちは驚くのである。
先の談話によれば、漱石にとっての対比は 「西詩」 対 「俳句と漢詩」 のはずであった。
ところがこの菫は日本でこそ山部赤人以来詩歌に詠まれているが、いわゆる漢詩の中では取りあげられることのなかった花である。
菫にのみ限定していれば 「西詩と俳句」 の間には共有点があるけれども 「漢詩」 との間には共有点は存在しないのである。
私はかつてソウルで開かれた韓国日本学会の席上でこの話をして、韓国人にも中国人にも菫を珍重する趣味のないことを指摘され、非常な驚きを覚えたのであった。
朝霞(埼玉)の花火大会 8月4日 中央公園にて撮影