「天皇家という家業」徳川義宣 | 人差し指のブログ

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「 徳川さん宅(ち)の常識 」

徳川義宣 (とくが よしのぶ 昭和8年~平成17年)

株式会社淡交社 平成18年3月発行・より

 

                        「家業」  (平成2年9月23日)

 

 

 

 Aの家がちょっと特別な家業?に属してゐると聞かされたのは、私が幼稚園のときで特別と云ったってイトコやなんかの親戚と大した違いはないと思ってゐた。

 

 

学習院初等科に進んで二年生になり、大東亜戦争が始まった頃には、

Aの家が特別な家業グループの中でも本家で、その跡継ぎのAは、

中でも別格なんだと云ふことがだんだんわかってきた。

 

 

 初等科六年生の夏に終戦となり、その翌々年には”もと大名””もと公家”の華族も廃止になって”もと華族”になった。

 

 

Aの家業グループも、Aの華族とその極(ご)く近親者以外は”もとグループ”になったが、Aの家業だけは、形は随分変へられて残ることになった。

 

 

”ほう、よかったな”と思った反面、”やれやれ、御苦労様なことだな”と同情を覚えたし、”我々は自由になったのに、済まないな”と云った、ちょっとした負(お)ひ目をAに感じたことも憶えてゐる。

 

(略)

 

 高等科に進み大学受験がチラホラ脳裏を掠(かす)める様になると、誰でも自分の行く先、人生設計を考へ始める。

 

 

理工系に進まうと考へる奴、文学をやって学者を目指さうとする奴、医学部へ進んで親爺の跡を継がうと考へる医者の息子、早くも文士気取りの奴、そしてとにかくどこかの会社に入るだらうと経済学科や法学・政治学科へ進む大多数の奴・・・・・・そんな同級生たちの話を耳にしてゐたAが、家業を継ぐべく宿命づけられてゐる自分の立場に疑問を感じ、悩みを抱かなかったはずはない。

 

 

もし、感じも悩みもしなかったらうと憶測を周(めぐ)らすならば、それはAに対する侮辱と云ふもんだらう。

 

(略)

Aも本当は理学部に進んで生物学をやりたかったやうだが、政治学科に進むことになった。

 

 

政治家にはハッタリや自己宣伝が必要だとするならば、同級生の中でもAほど政治家向きでない奴はゐなかっただらう。

 

 

その代わり問題をどこまでも冷静に客観的に、ねばり強く分析かつ統合する能力に優れ、かつ直感的にも優れてゐることを学者の條件とするならば、Aほどその資質を備へてゐる奴も、同級生の中にはゐなかっただらう。

 

 

 Aは自分では文学や美術を理解する能力に劣ると思ってゐる。

 

たしかに通俗恋愛小説には興味を示さないし、美術評論を読んでも、”どうもピンと来ない、なぜさうなんだかわからない”と云ってゐた。

 

 

今日の私なら、”美術評論なんて、わからない方が正常だ”と云ってやれたと思ふが。

 

 

 ところが高等科三年のとき、国文学の上でも、そして哲学談義ででも、私が散々考へて漸(やうや)く思ひ至ったことや、また、思ひもつかなかった様なことを、Aはなんでもない様によく口にした。

 

 

”凄(すげ)え直感力だな”と畏敬の念を抱かせられたが、口に出して褒(ほ)めるのもお互ひに面映(おもは)ゆい思ひを味はふだけだし、それにそれはAに対して、却(かへ)って心ない仕打ちになりさうな気がして口にしなかった。

 

(略)

 

 Aだって中等科の頃から興味を抱いてゐた生物学をコツコツと続けてゐて、今ぢゃ魚類学、中でも鯊(はぜ)の分類では一流の学者なんださうで、論文もいくつか書いてゐるし、国際学会でも研究を発表してゐる。

 

 

ただし気の毒なことに、Aはその専門の研究機関や大学にポストを得ることは、やっぱりできないらしい。

 

 

 Aの家業は神話時代から起算すると二千六百五十年、Aはその第百二十五代目に当たる。

 

そのお披露目式を、世には”即位の礼”と云ひ、その儀式を”大嘗祭”と云ふ。

 

 サラリーマンの同級生は、みんなもう定年で楽隠居とは行かないまでも、第二の人生に入ってゐると云ふのに、Aはこれからが本番である。

 

思へば大変な”家業”もあったものである。

 

 

                                         

 

 

 

 

8月7日に 「戦前の身分制度と学習院」 と題して徳川元子の文章を紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12394164500.html

 

 

 

 

朝霞(埼玉)の花火大会 8月4日 中央公園にて撮影