西欧人が初めて猿を見た時   | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「 織田信長  新装版  」

会田雄次 / 原田伴彦 / 杉山二郎

(株) 思索社 1991年9月発行・より

 

 

 

会田  ヨーロッパでは家畜を殺さなければならない。

 

     だから日本人が畜生というのと、向うが畜生というのとではだいぶ

     話がちがうわけです。

 

 

     日本人が畜生といったって輪廻思想があったりして、親父が馬か

     もしれんと思ってみたり、(笑) おれが死んだら馬になるかもしれ

     んと思ったり、連続しているわけですよね。軽蔑はしてるけれども。

 

 

     だがヨーロッパでは畜生といったら隔絶した存在でしょう。

     ところがその人間と動物とは実はつながっているわけです。

 

 

     ヨーロッパには猿がいないから切れたんだそうですがね。(笑)

 

     ヨーロッパにいるのは四つ足ばかりですから。

 

 

     日本には猿がいよって、人間と同じ恰好するために、人とけものは

     つながっているという考え方から逃げられなかったといえる。

 

 

 

 

 

     猿がヨーロッパ人の目にふれたのは猿まわしが十二世紀に入って

     きてからですよ。

 

 

     それでびっくりしちゃってこれ何やということになった。

 

 

     ある坊さんがこれは神様がはじめ人間をつくるつもりなのができそ

     こなったので、あ、しまったとアラビア海に捨てはったやつを(笑) 

     また拾ってきたものだって、そんな説明した。

 

 

     ところが神様にもミステークがあるのかっていわれて、シュンとした

     っていう笑い話があるんですがね。

 

 

 

     まあ猿がいないせいもありますけど、確実に人間界と動物界を区

     切ったわけでしょう。

 

 

     だからそれだけ人間は尊いものだというわけでヒューマニズムを

     つくったわけなんですけど。

 

 

     区別がもともとないところを区切って、切ったその基準が問題で

     す。区切る方の主観にまかされる。

 

 

 

     深刻な話、皮膚の色とか宗教のちがいとか何かで勝手気ままに、

     こいつは人間だ、こいつは人間じゃないってことを断定される可能

     性がある。

 

 

     いわゆる殺す側に都合良くつくられてるわけですね。

 

 

 

 

     ヨーロッパがアメリカを発見した時に困った。

 

 

     アメリカ・インディアン、これ人間か人間ではないかということで

     大議論が起って、宗教会議つまり公会議でやっと人間だと決めた

     んですね。(笑)

 

 

     そんなことを真面目に議論することができるわけですよ。

 

 

     だからいったんおまえは畜生だと宣告されたらたいへん、こいつを

     殺そうがどうしようが正義そのものとなる。

 

 

     日本人の牛馬のごとくこきつかうというんじゃなくって、こいつは原

     田さんがおっしゃったように、殺せば殺すほど神の恩寵に応じるよ

     うになるんですな。

 

 

     これが植民地というものにもつながってくる。

 

 

 

 

 

5月11日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影