「 歴史の真実と政治の正義 」
山崎正和 (やまざき まさかず 1934~)
中央公論新社 2000年1月発行・より
第一に今世紀を大きく揺さぶったのはマルクス主義であるが、この思想が根本において、歴史的な復讐の哲学だったのはいうまでもない。
マルクス主義によれば、人類史はそのときどきの多数者が抑圧されつづけた歴史であって、二十世紀はそれが最終的な復権を遂げるはずの時代であった。
この 「最後の審判」 史観がロシアに革命を生み、東欧からアジアの大半を占める広大な地域を席巻した。
それが行くところどこでも、過去は苛烈な判断を受け、具体的な個人が革命法廷で裁かれた。
そのさい規範となったのは近代法の精神ではなく、
歴史の記憶とそれにともなう感情であった。
近代法は制定以前に遡及して適用されないはずであるが、歴史の記憶は過去の 「罪」 を現在の正義感に立って訴追したのである。
歴史がこうして法としての力をおびることになると、当然、歴史家は調書を書く検察官のような制約を受けることになる。
彼はもはや自由な事実の観察者ではなく、革命権力とそれを支える大衆の監視を受けざるをえない。
彼はまず観察すべき事実の選定について自由ではなく、職業の宿命として、歴史的事件のなかでも犯罪を視野の中心に置かなければならない。
事実の判定についても彼は相対主義者であることは許されず、どの事件にも必ず黒白をつけなければならない。
しかも検察官である以上、彼の役割は犯罪の告発であるから、灰色の事実はなるべく黒として立証するように努力しなけれなならないのである。
近代法の法廷なら、そのほかに弁護士も裁判官もいて、検察官の告発そのものがさらに公正な審判を受ける。
だが革命史観の法廷にはそういう安全装置はなく、告発はそのまま、権力の承認と大衆の喝采によって判決となる。
3月31日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影