「半日の客 一夜の友 丸谷才一・山崎正和 対談11選」
丸谷才一(まるや さいいち) / 山崎正和(やまざき まさかず)
株式会社 文藝春秋 平成7年12月発行・より
<丸谷> 実は僕はヒトラーの伝記を読み、ある個所に非常な衝撃
を受けたんです。
ヒトラーが死ぬ前の日に、総司令部のお気に入りの若い女の子と二人で昼食会をとった。
そのときにヒトラーが、ナチスの領袖たちの人物月旦をやれ、といったんです。
それでその若い女の子が、褒めたり貶したり、忌憚のない人物評をやったら、ヒトラーが非常に喜んだ。
大喜びして一通り聞いた後で、しんみりと、「しかし、みんな藝術が分からない連中ばかりだなあ」。
<山崎> 面白い。
<丸谷> と言ったんだそうですよ(笑)。
つまりヒトラーは、自分は彼らと違って段違いに藝術が分かると自負していたし、それよりもすごいのは、人物批評で一番大事なのは藝術が分かる分からないと思っていた、ということですね。
きめ手になるのは政治でも哲学でもなかった。
それで思い出すのは、ナチスという運動そのものが藝術家として失敗した藝術青年たちの代償行為としての政治運動だったということです。
殊にヒトラーがとゲッペルスはそうだった。
では、その彼らが信じていた藝術というのは何だったのだろうか。
それこそまさしく生活から遊離した 「無目的的合目的性」 の極端に純粋に徹底化したものじゃなかったのか、と僕は思うわけです。
<山崎> なるほど。
<丸谷> ヒトラーの絵をご覧になったことがあるでしょう。
<山崎> スケッチみたいなのを見たころがあります。
<丸谷> 特徴が二つあって、一つは非常に下手である(笑)。
たしかアーサー・ウェーレーが、上流婦人から、「毛沢東の書く詩は上手なんですか」 と質問されて、「チャーチルの絵とヒトラーの絵の中間」(笑) と答えたという話があるけれど、まあその程度。
第二は、町の建物をうんと克明に書いてあるけれど通行人が一人もいない。
<山崎> ああ、それは恐ろしいことだなあ。
<丸谷> そういう才能のない画家が非常に高度な、と言うか純粋志向の藝術観念を持っていて、それをどんどん極端化して行ったときの不幸というものは、ヨーロッパの行き着いた姿のようなところがある。
藝術という観念の被害者としてのヒトラーが、僕にはとっても可哀想そうだった。
~亡ぶ国 興る国~ 「文藝春秋」 平成七年二月号