明治天皇のご落胤 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「明治天皇を語る」

ドナルド・キーン (1922年~)

株式会社新潮社 2003年4月発行・より

 

 

 

 記録に残されている以外に明治天皇と女性との関係があったかということになると、よくわかりません。

 

 

現在、自分は実は明治天皇の私生児の子供だ、私生児の孫だという人が、かなりの数いますけれども、みんな怪しい。

 

 

証拠が少ないのです。

 

 もし権典侍以外の女性との間に子供ができたとしても、明治天皇は秘密にすることなどなく大いに喜んだはずです。

 

 

隠している理由は何もありませんでした。

 

 

 いつだったか、私のところにカリフォルニアから電話がありました。

 

カリフォルニアに住んでいる九十九歳のおばあさんが、実は明治天皇と韓国の姫との間にできた子供だというのです。

 

 

しかし、私が調べたところ、明治天皇は一度も韓国に行ったことはないし、韓国の姫が日本に来たこともない。

 

 

これはちょっと証明しにくい話だと思いました。

 

 

 明治天皇が巡幸に行ったときに、宿でお伽(とぎ)の女性がいなかったかどうかということになると、まったくわかりません。

 

そういうことがあったとしても、たぶん珍しいことだったでしょう。

 

 

 天皇には、側室として六人もの公家の娘がいました。

側室の代わりもたくさんいます。

 

 

つまり、他の女性に目を向ける必要などないのですから。

 

 

 日清戦争に勝利し、平和が戻ったとき、侍従長が天皇に側室の増員を勧めたことがあります。

 

 

国民は後継者である男子が少ないことを心配している、側室の数を増やし多くの男子に恵まれることが国のためだと助言するのですが、

天皇にはまったくその気がありません。

 

 

 天皇にとっても、後継者の問題はもっとも重要な問題のはずです。

ですが、だからといって 「大奥」 を望んだわけではありませんでした。

 

 

 

 

国立劇場前庭の桜(東京・千代田区) 3月26日撮影