戦国武将の妻のヘソクリ | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

 

「戦国の群像」

小和田哲男 (おわだ てつお 1944~)

株式会社学習研究社 2009年6月発行・より

 

 

 

家父長制の時代、しかも、よく、「雌鶏(めんどり)うたえば家滅ぶ」 などといって、女が男を出しぬいて事業などに口出しをすれば失敗するとされ、妻は黙って夫に従うのがあたりまえと考えられているころのことである。

 

 

秀吉の妻お禰、利家の妻まつは特殊な例外だったのだろうか。

 

 

お禰やまつは決して特殊な例ではなく、すでにみたように、

「女戦国大名」 「女地頭」 が存在したことにも明らかなように、

現在のわれわれが考えている以上に、戦国夫婦の間における

妻の発言権はかなり保証されていたのである。

 

 

それは、武家の妻の場合、嫁いでいくにあたって実家から 

「敷銭(しきせん)」 とよばれる金を持参していったことと関係している。

 

 

嫁ぐときだけの持参金のみではなく、毎年、一定の収入が入る土地が

化粧料とか化粧田といった名目でつけられることもあった。

 

 

しかも、これら 「敷銭」 や化粧料・化粧田は、結婚したあと、

夫の財産にくりこまれるのではなく、妻の財産となっていたのである。

 

 

夫婦別産制だったから、妻の発言力が強かったともいえる。

 

 

ルイス・フロイスが 『日歐文化比較』 の中で観察しているように、

妻が財産を持ち、ときにはそれを夫に高利で貸していたというのもありうる話しだったのである。

 

 

その 「敷銭」 の一つの例が、山内一豊とその妻千代にかかわる

名馬購入の一件であろう。

 

 

従来は、この千代の十両という大金をへそくりとみて、

千代のことを 「へそくり女房」 などとよんできたわけであるが、

じつはこのときの十両は 「敷銭」 であった。

 

 

千代はその 「敷銭」 を夫のために提供したわけである。

 

 

千代の場合も、夫一豊をよくリードしており、それは、妻独自の財産に裏打ちされた形で妻の発言も保証されていたからにほかならない。

 

 

 

 

国立博物館の北(裏)側の庭園(東京・台東区)にて昨年11月21日撮影