武士と商人の関係   | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「大人の読書 一生に一度は読みたいとっておきの本

谷沢永一(たにざわ えいいち)・渡部昇一(わたなべ しょういち)

PHP研究所 2009年3月発行・より

 

 

 

渡部    日本が世界に誇っているものも、金持ちの商人文化です。

       ところが、小説などでは、商人が必ず悪者。

 

       お家騒動では必ず商人を殺すヤツが偉い。

 

 

       徳川幕府がだんだん力を失った一つの理由は、武士と商人と

       の接触が薄れたことだと思います。

 

 

        家康の頃は、商人と茶室でお茶を飲んでいたから、大商人の

       知恵がストレートにトップに伝わった。

 

 

       二代、三代と続くうちに、奉行さえも商人と同席しないようにな

       る。

 

 

       そうすると、経済の動きから切れたところで政治が行われ、

       打つ手、打つ手がだんだんおかしくなって、どんどん武士が貧

       乏になった。

 

 

       通貨でも何でも、大商人、老中、さらには将軍も出席して経済

       会議をやっていたら、打つ手はいろいろあったでしょう。

 

 

 

谷沢   信州の真田藩が、お国替えになって新しい領地へ行くと,殿様が

             領地の人を呼びました。

 

 

             そのとき、商人のほうが家老たちより上座に座ったと伝えられて

             います。

 

 

             商人のご機嫌を取らなければその地を治めていくことはできない

      から、真田家の家老であるといっても、商人の下に座らなければ

      ならなかったわけです。

 

 

      ところが、武士が上で商人が下とする上下関係が長年続くと、

      幕末の頃には商人が萎縮してしまっていました。

 

 

      明治初期、日本各地で銀行がたくさんできました。

 

 

      その銀行の出資者がどういう層であったかを調べた本(朝倉考

      吉『明治前期日本金融構造史』)を見ると、意外にも商人ではなく

      て、中農が中心でした。

 

 

      御用金を取られっぱなしでやせ細った商人の例もありますが、

      江戸時代からの大商人は怖くて銀行の金を出せなかったので

      す。

 

 

      これではいわゆる大ブルジョアジーが近代化のリーダーになると

      いう図式が日本では通用しないことになります。

 

 

 

渡部   それで福沢諭吉の出番があったわけですね。

 

      近代産業では大商人の手代、番頭も使いものにならなかった。

 

 

      福沢が新しい担い手となる人材を供給し、ブルジョアジーではな

      いリーダーが近代産業を支えた。

 

 

      三越は三井家の中核でしょう。歴代、社長が慶応だったというの

      は象徴的ですね。

 

                                   

 

 

 

 

2016年6月6日に  「江戸時代の変な三権分立」 と題して山本七平の文章を紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12158109117.html

 

 

 

 

                     2月2日 朝霞市内(埼玉)にて撮影