「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」
井上和彦(いのうえ かずひこ 1963~)
株式会社産経新聞出版 平成25年10月発行・より
そもそもマレー半島は東部には、イスラム教徒が圧倒的に多く、一方、中国系住民は少ない。したがって”親日度”も高い。
大東亜戦争時、マレー系の人々は、長く圧政を敷いてきたイギリスを駆逐してくれた日本軍を”解放者”として歓迎した。
一方、母国の中国が日本と交戦状態にあった中国系の人々にとって、日本軍は”敵”としか写らず、抗日ゲリラを組織するなどして抵抗をつづけた。
いまでも当時の対日感情が今日のそれに大きく影響しており、民族によって対日感情が違うのだ。
それにつけこんだ日本のマスコミは、わずか30%に足らない中国系住民の対日感情をマレーシアの総意であるかのように報じてきたのである。
(略)
なかでも支配者であったイギリス人の手下となってマレー人を酷使した中国系とマレー系の折り合いは悪く、戦前・戦後にわたって反目し合っていることを知っておかねばならない。
実はこのことがマレーシアを知り、そして大東亜戦争時の日本軍を知る手がかりとなるのだ。
(略)
当時ケランタン州知事で、コタバル戦争博物館の館長であったロザリー・イソハック氏は、ビデオ 『独立アジアの光』 (日本会議)の中で次のように述べている。
《1991年、私たちは日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤによって意義ある出来事であったからです。
ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。
私は戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を長く記憶に留めていただきたいと願っています》
またコタバルの近代史研究家・ビン・モハメッド・ナラク氏も、上陸してきた日本軍をこう称える。
《たいへん感銘を受けました。我々が学んだのは日本人の規律の良さでした。それを見た我々も独立の意欲が沸きました。
日本軍が来るまでは、イギリス人または白人は神のように高い存在で、我々は話し掛けるのにも躊躇(ちゅうちょ)しました。(中略)ところがよく見れば白人はそんなに高くはない。神でもない。
彼らはアジアの軍隊に負けたのですから、こんな思いもあって、もうイギリスの保護を求める必要もない。
独立は我々自らの力で要求できるのだと確信するようになったのです》(同前)
極端な偏向教育によって洗脳された日本人は、どうぞマレーシアの
人々の生の声に耳を傾けていただきたい。
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影